鬼馬依舊 許冠文 (前編)

2011.08.24 Wed

824日発刊の香港のフリーペーパー『am730』に、
許冠文先生の特集記事が掲載されました。

と言っても、その『am730』に掲載された文章及び画像は、
2011
8月号の映画専門誌『香港電影(ISSUE 42)』から
拝借したものらしいのですが・・・。


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※『香港電影』の微博より

ま、それはさておき、いつものように
日本語に訳してみたのでブログにアップしたいと思います。
ただ、文字数が長すぎてエラーが出てしまったので、
前編と後編の二回に分けることにしました。
ご了承下さい。


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マイケルの茶目っ気ぶりは、今も健在なり

香港版アカデミーこと、『香港電影金像奨』の“初代主演男優賞”を受賞した“影帝”であり、
また最近では、『イタリア・ウーディネ極東映画祭』において功労賞を獲得した許冠文だが、
正直な所、芝居にはあまり関心がなく、クリエイトする事の方が好きだと言う。
そんな彼は、中文大学出の秀才でありながらも、決して能力にうぬぼれる事なく、
クリティカル・シンキングを小市民の生活に結びつけることで、
香港の人々の心に深く刻まれる数々のコメディ傑作を生み出してきた。

以前は労働者階級の代弁者であり、様々な労働者の心の声を伝えて来た許冠文も、
今となってはすっかり経営者側の心境に傾いている。
たとえ今、労働者を描いた作品を撮ったとしても、
恐らく、
経営者側に些か見方してしまうだろうと彼は言う。

そんな彼が一番愛しているのは今も変わらず“映画を撮る事”であり、
ずっと構想を練っていると言うのだが、もう10数年も新作を発表していない。
道理で、霑(ジェームズ・ウォン)に言われるはずだ。
「マイケルは考え過ぎだ。完璧を求め過ぎるんだ」と。

1991年製作の豪華キャストが贈る映画『豪門夜宴(The Banquet)』の中に、
意味深長な一幕がある。元祖喜劇王の許冠文と、“無厘頭(ナンセンス・コメディ)”
と呼ばれるスタイルで一躍スターとなったコメディ界の新星、周星馳(チャウ・シンチー)が、
鶏の頭を巡ってトークバトルを勃発。最後にはシンチーがマイケルに譲ると言うシーンだ。
実際の所、許冠文にとって周星馳は、別に自身の立場を脅かす存在ではなく、
また、シンチーも彼と同じように、転向への道を模索している所であり、
許冠文は、まだその新しい方向が見つけられないでいるだけだと言う。


役者VS監督

許冠文は、香港中文大学連合書院の社会学部を卒業。大学二年の時には既に

TVBこと、無線電視(香港初の地上波テレビ局)の人気番組『歓楽今宵』の

製作に携わっていたこともあり、1971年、正式にTVBに入社。

その後、実弟の許冠傑(サミュエル・ホイ)と一緒にホストを務めた『雙星報喜』が

瞬く間にTVBの視聴率王となる。1972年には、大物監督、

李翰祥(リー・ハンシャン)に誘われ、映画『大軍閥』で初主演を演じる。

ここから彼の映画人生が始まるのである。


その時の事について、許冠文はこう語る。

「私は、小さい頃から李監督の映画を見て育ったんです。ですから、

彼に誘われた時は大変光栄に思いました。・・・ただ、妙だなとも思いましたよ。

私が演じる“軍閥”と言うのは、少なくとも4050歳は過ぎている設定でしたからね。

当然、その時の私はヒジョーに若かったので、演じ難いのではないかと思ったんです。

その次に悩んだのは、スキンヘッドにする事です。

当時、私はまだTVタレントだったので、見た目に支障が出る事を心配したんです。

でも、その一方で、これは貴重なチャンスだとも思いました。

なんたって大作ですからね!」


そう言いながらも結局は、『大軍閥』で主演を演じる事となり、
ショウ・ブラザーズ映画史上最高の興行収入を叩き出す事になる。

役づくりについて聞いてみると、許冠文はキッパリとこう語る。
「芝居に関しては、昔から自信はあったんです。
ただ、あまり好きではないだけで・・・。」

 
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↑『大軍閥(1972)』より

『大軍閥』で一躍スターに躍り出た許冠文は、その時既に30歳。
芸能界では大器晩成型と言えるだろう。
そんな彼の当時の心境は、もう暫く芸能界に残り、その後はビジネスでもするか、
或いは政治家にでもなろうと考えていたそうな。
しかしながら、『大軍閥』の撮影中、監督の李翰祥(リー・ハンシャン)は、
毎晩自宅に許冠文を招いては食事をしながら語り合い、編集の仕方から
シナリオの書き方まで教えてくれたことで、彼の考えに変化が現れ始める。
その時の思い出を、許冠文はこう語る。

「李監督は、私に色々な事を話してくれましたね。このシーンでは何が言いたいのだとか、
大軍閥が中国の発展を妨げたんだ。だから、この演技にはこういう理念がある・・・
と言う風に、全てのシーンについて彼の考えを話してくれたんですよ。
そしてその翌日、昨晩書き上げたシナリオが、カメラを通して
一つ一つ映し出されていく光景を私は目の当たりにしたわけです。
こうした経験によって、“映画は単に人々を楽しませるだけのものではない”
考えるようになったんです。また、自分の世界観を、この有力なメディアを通して発信すれば
全世界の人々に影響を与える事ができるのではないか、と。
その時からですね。“監督こそが、私の一生の仕事になるかもしれない”
と思い始めるようになったのは。」

許冠文の理想は、この時から脚本と監督に定められたのである。

「私は、クリエイトする事が大好きなんですよ。
自分の創作力を使って、それを興味深いストーリーの中で表現する。
世界の悲惨な一面をユーモラスに描くことで解決へと導きたい。
だって人生は苦くて短いものですからね。・・・ただ、問題は、
私の描きたいモノと言うのは、他の誰かが演じても
その効果が発揮されないわけです。私がやるしかないんです。」

許冠文が自分の映画に出演するのは、
まさかの“やむを得ず”と言う理由からだったようだ・・・。


邵氏(SBVS嘉禾(GH

『大軍閥』を撮り終えた頃、邵氏こと“ショウ・ブラザーズ”は、
許冠文に
3本の映画出演契約を結ばせた。
邵逸夫(ランラン・ショウ)は、彼を優遇したのだ。
なぜなら、ショウ・ブラザーズに属する役者は、
強制的に8年もの契約を結ばされるのが原則だからである。

とは言え、恐らくそれは、『大軍閥』で人気が出たものの、
その後の作品、『一楽也(The Happiest Moment)』及び『醜聞(Scandal)』が
前作には及ばなかったからとも考えられるのだが・・・。
その頃の許冠文は、これからの将来に不安を感じていたと言う。

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↑『聲色犬馬(1974)』より

「興行収入はまずまずでしたが、このままではイカンなと思ったんです。
それでも、『雙星報喜』で培った経験のおかげで、その時既に、
コメディの撮り方や演技の仕方に関しては、私なりの見解を持っていたので、
チャンスがあれば、自作自演の映画が撮れるかもしれないと思っていました。
今考えると、勿論それは、恐れを知らない若造だからこそできた
大胆な考えなわけですが・・・。」

その当時、嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)は、許冠傑と契約を結び、
看板スターとして売り出すつもりだった。ところが、まだ一作品も撮っていない内に
李小龍(ブルース・リー)の出現によって、許冠傑は冷遇されてしまう。
しかし、許冠文はそこに目を付けた。
今がゴールデン・ハーベストに入る絶好のタイミングだ!
許冠傑とタッグを組み、『雙星報喜』の映画版を撮ろうと考えたのである。

「鄒文懷(レイモンド・チョウ)氏は、ショウ氏に比べて、
タレントの要望に応えてくれたし、態度の面でもよかったんですよ。
私が監督をやってみたいと言うと、レイモンド氏は快く協力してくれました。
“経験がなくても大丈夫、彼の製作スタッフが熟知しているから”
とも言って下さいましたし、あの時は“絵コンテ”すら知らなかった私のために、
宇森(ジョン・ウー)を助手につけてくれましたからね。」

この時、ジョン・ウーは、ゴールデン・ハーベストのための映画を撮り終えたばかりで、
ちょうど手が空いていたそうだ。つまり、許冠文の初監督作品『鬼馬雙星
Mr.Boo!ギャンブル大将)』は、ジョン・ウー指導の下、製作されたのである。

「ジョン・ウーは、本当に男気溢れる男でしてね。
それ以来、彼とはイイ仲なんですよ」

当時、その映画に参与したメンバーの中には、洪金寶(サモハン・キンポー)、
霑(ジェームズ・ウォン)等もいた。今となっては、錚々たるメンバーだったと言える。
こうして『鬼馬雙星』は自ずと大盛況を収め、興行収入625万香港ドルを稼ぎ出し、
1974年の香港映画興行成績第一位を獲得したのである。


労働者VS経営者

1974年から1981年に掛けて、許冠文はゴールデン・ハーベストのために
6本ものヒット作を生み出した。しかもその内の4作は、
それぞれ年間の映画興行収入第一位を獲得している。
その成功の要因は、“形式”にあると考える許冠文。
それまでのコメディと言えば、梁醒波(リョン・シンボ)、伊秋水に代表される
伝統的なストーリーを用いて、ゆっくりと展開していくと言うものだった。
一方、彼のコメディは、マシンガントークによる集中“口撃”型とでも言おうか、
スピードが速く、笑いの取り方が斬新で、何よりそれが観客に受け入れられたことだ。

「観客は、その時その時で、ある喜劇の“パターン”を好むものです。
なぜなら、ストーリーの内容は、いつの時代もそう大して変わらないわけですから。
ただ、その笑いのパターンが時代遅れになった時、人々は、面白くないと感じるわけですよ。
広東語で言うなら、“又係嗰啲嘢?(またこれかいっ!)”と言う風にね。
例えば、ブルース・リー特有のアクションスタイルは、観客に大変受け入れられた。
しかしながら、もし彼がまだ生きていたとして、今でもあのスタイルでアクションしていたら、
観客は皆、“またこれかいっ!”と思うわけです。」

“形式”の他には、内容も成功した要因の一つだと言えるだろう。
『鬼馬雙星』は、一般市民の心の声を上手く反映できていた。

「私だって普通の市民でしたからね。お金もなかったですし、
普段から、ギャンブルも好きでやっていましたし、
ほんのちょっと勝っただけでも嬉しかったものです。」

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↑『半斤八両(1976)』より

その後の作品、『半斤八両(Mr.BOO!)』でも市民の心境を表現しているが、
ここでは特に労働者の声を代弁した作品になっている。
そして、『賣身契(Mr.BOO!インベーダー作戦)』と続くのだが、
この作品の成績は彼の期待を下回る結果に終わった。
ストーリーのインスピレーションは、ショウ・ブラザーズの契約制度から生まれたモノだと言う。
役者は、通常8年もの契約を結ばされる。悲惨なものだ。
あるアクションスターなんて、嘗て契約書を盗もうとして、
結果裁判沙汰になったほど・・・。

「映画のストーリーは、主役がどのように契約書を盗み出すかと言うもので、
様々な視覚的ギャグ(ビジュアル・ギャグ)を盛り込んでみたのですが、
まさにそれがヒットしなかった原因なんですよ。
当時私は、ご当地ギャグを越える新たな笑いのスタイルを試してみたかったんです。
ま、もうご存知の通り、それは“アクション”で笑いを表現する
と言うものだったわけですが。」

その次の、『摩登保鏢(新Mr.Boo!アヒルの警備保障)』も、
同じく庶民の心を映し出すパターンの作品だ。

「内容の上で私が大切にしているのは、
いつも一般市民の気持ちになって考えることです。
それは、必ずしも労働者とは限らないわけですが、今となっては、
こういう方向性のストーリーは大変難しいものがあります。
まず、今の私に果たして一般市民の心境が分かるのかどうか?!
立場的に見ても、今の私の心境は経営者よりですからね。
だからもし、今、『新半斤八両』を撮ったとしたら、
恐らく、割合的にボスの方に同情してしまう部分の方が多いと思うんですよ。
それか或いは、両方の立場を公平に考えるか・・・。」

心理学を学んだ事のある許冠文は、双方の立場について
大変明確に認識しているのが窺える。


この続きはこちらで⇒後編

COMMENT
これまた興味深い記事を翻訳して戴き有り難う御座います。

マイケルを「大軍閥」に大抜擢した李翰祥の眼力は大したものだと思います。

「大軍閥」撮影当時のマイケルの記事が手元にありますので、御笑納下さい。
http://www8.ocn.ne.jp/~kanken/dajunfa39001.jpg
http://www8.ocn.ne.jp/~kanken/dajunfa39002.JPG
http://www8.ocn.ne.jp/~kanken/dajunfa39003.JPG
http://www8.ocn.ne.jp/~kanken/dajunfa39004.JPG
Posted by 馬場 at 2011年10月01日
★馬場さん

私の方こそ、これまた大変貴重なモノを見せて頂きまして、
なんとお礼を申し上げてよいやら・・・。^^
「冠文のスキンヘッドは、まるで“電球”のようだ」って・・ホントだ、可愛い♪
李監督ったら、マスコミを招待して公開断髪式まで開いたそうですね。(笑)
しかも、その時の一部始終を記録したドキュメンタリー作品があるとか
書いてありましたが、見て見たいですねぇ。^^
それにしても、髪がある時のマイケルは、本当にハンサムだなぁ。
あの笑顔を見るとキュンとしちゃいます。(笑)

見せて頂いた画像は、大事に保管しておきます!
本当に有難うございました。^^
Posted by Baakkei at 2011年10月03日
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