星級會客室 ゲスト: 許冠文、陳欣健 (前編)

2011.11.09 Wed

以前、こちら こちらでも予告しましたが、
周美鳳がホストを務める香港有線電視の番組
『星級會客室 (Star Chatroom 2011)』に、
許冠文と、陳欣健のお二人が出演されました!

◆星級會客室 (Star Chatroom 2011)
【前編】2011年11月05日(土)放送
※収録日は、1010

動画は視聴できませんが、
その時のインタビューの内容が
『東周刊』に転載されたと言うことで、
なんとか入手しました!

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東周刊 vol.428 発売日2011.11.09


以下、日本語訳になります。



同窓生

陳欣健(フィリップ・チェン)は、ベテランの映画脚本家であり、
プロダクション・マネジャー、そして俳優であると同時に、経営者でもある。
また、芸能界に入る前は警察官をしており、警視まで上り詰めたと言う。
一方、許冠文は、“冷面笑匠(笑わない喜劇王)”と呼ばれ、
脚本、監督、俳優と全てを一人でこなし、彼が関わった映画の多くは、
当時香港の興行記録を塗り替えたのである。

周:お二人が仲の良いお友達だと言うことは知っていましたが、
まさかお二人ともラサールスクールのご出身で、
ブルース・リーやジェームズ・ウォン(霑)とも同窓生に当たるとは!

陳:私と許冠文は、良き友人であり、先輩後輩の仲でした。
それからブルース・リー、そしてジェームズ・ウォンもそうです。

許:私とジェームズ・ウォンが同級生になります。
その当時、ブルース・リーは最もケンカが強く、陳欣健は学校一歌が上手くて、
ジェームズ・ウォンは、皆のリーダー的存在でした。
私は、ブルース・リーにケンカを習い、陳欣健から歌を教えて貰いました。
ジェームズ・ウォンから教わった事はあまりなかったなぁ・・・。
私はいつも学校をサボっていたので。


一夜にして成功をおさめる

許冠文は、大学在学中から既に芸能界デビューしていたが、
一方、陳欣健はと言うと、11年間警察官として勤めた後、
思い切って高給と身分保障のある職を捨てて芸能界に転向した。

周:芸能界に入ろうと思った最初のキカッケは何だったのですか?

許:私の両親は広東語オペラをやっていました。ですから、
我々兄弟が芸能界の道に進む事には反対でした。
歌手や役者は、人より一段劣っている職業だと彼らは思っていたようで。
だから本当は、大学を卒業したら普通の仕事に就くつもりでした。
ただ、家が貧しい上に、また私は長男でしたので、大学一、二年の時は、
夜間学校で講師をしながらなんとか学費を払っていました。
ところが、三年になると、それでもお金が足りなくて・・・。その時、
許冠傑がTVB(無綫電視)の音楽番組に出ていたので彼に頼んでみた所、
当時オーストラリアから来ていた外国人の社長を紹介されたのですが、
「学校対抗常識クイズ大会(※1)をやりたいんだが、できるか?」
と私に聞いてきたんです。それで私は、当時クラスメートだった“妻”にも
助手として手伝って貰い、一晩徹夜した甲斐もあって、
翌朝の9時過ぎには80ページ以上にも及ぶ企画書を書き上げたのです。
社長は大変満足してくれまして、そこでスグサマ準備が始まると、
早速給料も支給されることになったんですよ。
社長は、「月、1,500香港ドルでいいか?」と言うので、
私は、とりあえずOKすることにしました!
実はその当時、師範学校を卒業した教師の月給が650香港ドルでしたからね。

1・・・許冠文は1968年、『校際常識問答比賽』の一代目司会を務める

こうして、許冠文は、TV番組の司会を務めることになり、その後、
『雙星報喜(コント番組)』、映画出演などを経て人気者となると、
続いて結婚、二人の子供にも恵まれ、こんな調子で今日に至るのである。


芸能界へ転身

周:それに比べて陳欣健は、だいぶ遅れて芸能界に入った事になるけれど、
まさか、許冠文と関係があるのかしら?

陳:実を言うと、私は昔から音楽に興味があり、バンドを組むのが好きでした。
これはあまり知られていない話なんですけどね、
当時私がバンドを組んでステージに立っていた時、
方逸華(モナ・フォン)さんも同じステージで歌う歌手だったんですよ。
ただ、私の家は経済的に恵まれておらず、四人の弟妹もいましたし。
その上、大学入学資格試験に失敗し、本当は“上訴(※2)”するつもりでしたが、
“上訴”するには、200香港ドル以上は掛かるので、お金のない私には出来ず。
そこで、警察学校の試験を受けて警部補としてスタートすると、
気づいたらそのまま10数年勤務する事に・・・。
その後、機会があって、蕭芳芳(ジョセフィーン・シャオ)に頼まれて
麻薬密売をテーマにした映画に協力したのが、映画との最初の出会いです。

2・・・試験の結果に不満がある場合、間違いがないか、
再審査を申し出る事ができるらしい。

許:陳欣健はその頃、わが家にご飯を食べに来ては、
芸能界に転身する事についてどう思うかって相談に来た事がありました。
私は、「キミは、もっと早くに転身すべきだったよ!」って言ってやりましたよ。
すると彼は、「もし失敗したらどうしよう?」って聞いてきたので、
「その時はオレが一生面倒みてやる!」って私は言ったんです。
でもまさか、本当に転身するとは驚きでしたね・・・ハハハ!(笑)

陳:最初の頃は、実は4ヶ月ほど休暇を頂き、映画作りの勉強をしていました。
そして私が初めて(脚本を)手がけた作品は、『跳灰』です。
結果、この作品が大成功を収めると、社長がこう聞いてきたんです。
「キミは、警察官をしていた時、月給いくら貰っていたんだね?」と。
12千」と私が答えると、「では、24千でどうだ?いつから来てくれる?」
こうして、正式にこの世界に入る事になったんですよ!

(日訳:管理人
Baakkei

後篇へ
COMMENT
マイケル先生のご両親が芸能界入りに反対されていたのはMay姐有請のインタビューでもおっしゃってました。

かつて役者さんの社会的地位は日本でも低かったそうですが、
中国でもそうだったんですね。お勉強になりました。

広東オペラ…地元の伝統演劇ですね。かのブルース・リーのご両親もその役者さんで米国サンフランシスコで巡業していた際にブルースが生まれたというエピソードがあります。

トリビアですが、かつて中国でも伝統演劇で女性の役は歌舞伎の女形同様男優が演じていました。
香港コメディに女装ネタが多いのはその影響でしょうか?

Posted by よーこぶー at 2012年01月07日
★よーこぶーさん

“「花旦」と香港コメディに女装ネタが多い事”の
関連性ですが、台湾人の友人曰く、
「コメディにおける女装ネタは単に面白いからだろう!」(笑)
ただ、「花旦」と言う文化と言うかジャンルは、
最近では砕けたニュアンスで使われることもあるので、
伝統演劇だけでなく、普通のコンサートでも
パフォーマンスの一部として使われる場合もありますよ。
Posted by Baakkei at 2012年01月13日
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