許冠文の唱える“誠信論” 【下】

2009.11.27 Fri

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マスコミの責任


  香港の“誠信”に問題が起きていますが、マスコミも責任を負うべきです。
私が昔、テレビ局で働いていた時の事ですが、
我々は一人一人が明確な社会への責任を背負って仕事をしていました。
自分が好きな事なら何をやってもよいと言うものではありません。
テレビ番組というのは、各家庭の中に入り込むわけですから。
小さい子供に影響を及ぼすことになります。以前同僚が、こんな質問をしました。
「ホイさん、あなたが考える(放送コードの)限界ラインとは何だい?
どのような基準で線引きしているの?」
私が考える放送の限界ラインは、自分の子供たちに見せられるかどうかです。

  しかし、現在の社会はそんな風には思っていません。例えば少し前の事になりますが、
新聞をめくると毎日のように目にしたのが、芸能人のわいせつ写真流出事件。
メディアは、売り上げのために、3ヶ月にもわたって取り上げ続けました!
そのなのに、中文大学校長の高錕(チャールズ・カオ)教授が
ノーベル賞を受賞したニュースは、一日しか話題にならなかった。
我々の子供たちや青少年は、どう思うでしょうね?

  現在多くのニュースが、マイナスな価値観を広める傾向にあります。
例えば、某女性スターが、最近富豪と知り合い、
有名な高級バッグをプレゼントされたとか、豪邸を手に入れたとか。
若者は、これこそが一番重要な事だと思い、如何にして他人の“愛人”になるか、
そしてあらゆる物質を得ることに楽しみを覚えるようになるんです。

TV局やラジオ局が企画するゲームの中には、意外にもこんな質問が!
「三人のヒロインの中で、あなたがレイプしてみたいと思うのはどの子ですか?」

ミス香港コンテストの司会者なんて、
「もし一度だけ一夜限りの関係を持つチャンスがあるとしたら、どの金持ちと?」

青少年は、こういう価値観に影響を受けて成長していくのです。
これは我々が望んでいる事なのでしょうか?

  私はこういったメディアの方たちと口論になった事があります。
彼らの言い分は、
「あなたのように言うのは簡単ですが、限界ラインなんてどうやって決めるんです?
それが限界ラインだなんてどうやって分かるんです?観る人がいればいいんですよ。
あなたはなんの権利があって私の線引きが間違いだと思うんです?」

私はこう言いました。
「自分の良心に聞いてみて下さい。自分の子供たちにも言えるんですか?
“さぁ、今からゲームでもしようか。ここに三人のスターがいる。
レイプしたいと思うのはどの子かな”
なんて事がね・・・」


  間違いは果たしてどこにあるのか。
他人の子供が皆、援交や、薬物、窃盗をしていたら、気持ちがいいですか?
自分の子供は大丈夫だからって、放っておけるんですか?
それでもまだ我々は、穏やかで楽しい社会に居ると言えるのでしょうか?
当然違うでしょう!もし“誠信”を以ってメディアの仕事ができないのであれば、
結果はつまり全員共倒れに終わるのです。
メディアの方たちにはよく考えて貰いたいですね。


“誠信”の大きな秘密

  ではここで一つ、“誠信”に隠された大きな秘密についてお話したいと思います。
それはつまり、以前の映画はどれも“誠信”を用いて作られていたという事です。
これが実は、ヒットする要因だったのです。両者の間にはどんな関係があるのか?
人は皆、どんな社会にいても、心の中に一つの価値観を持っているものです。
それはつまり、“誠信”のない人間が嫌いだと言う事なんです。
ヒットした映画の主役はどれも皆、必ず“誠信”のある人物を描いているんですよ。
そうでなければ、ストーリーがどんなに良かったとしても、観客は良い映画だとは思わない。
観る者がいないのでは、当然映画はヒットするハズもなく、どんなに投資しても意味が無い。

  例えば、『パール・ハーバー』と言う映画。大物監督による大作であり、
特撮の技術も並外れていますが、皆(香港人は)よい映画だとは思わなかった。
全世界各地の売り上げを見ても、あまり振るわなかったようですし。なぜか?
実はこの映画、二人の男性について描かれた物語なんですよね。
彼らは参戦前、お互いにある誓いを立てた。もし、どちらかが死んだら、
生還した者は真っ先に故郷に帰り、この事を相手の恋人に知らせなければならないと。
これは本来なら、とても壮烈で、とても偉大な事です。
その後、主役の一人が戦死。主役のもう一人が、約束どおり任務を遂行する事に。
故郷にたどり着いた男は、相手の恋人と会う約束をすると、タイミングをはかり訃報を告げた。
本当ならば、非常に感動的なシーンなんですよ。
しかし、その夜、男は戦死した友人の恋人と関係を持ってしまったのです。
そのシーンがとても優美であったのは間違いありません。
二人のラブシーンはたっぷりと5分もあるんです。その映像はとてもロマンチックですが、
観客は皆、彼を殴りたかったことでしょう。お前、自分が何をやっているのか分かっているのかと。
友人のために、恋人を慰めに来たのではなかったのか?それが意外にもこんな展開になるなんて。
監督は、美しい画が撮れればいいと思ったのでしょう。
しかし、そのシーンは皮肉にも皆が最も望まないものだった。そうなると、
その後の戦争のシーンがどんなによく撮れていたとしても意味がないんですよ。
だからつまり秘密と言うのは、映画の主人公のキャラを設定する時には、
“誠信”のある人物であること。そうでなければ、映画はヒットしないって事です。

  私の映画も全てがこの方法に基づいて作られています。
嘗て、許冠傑(サミュエル・ホイ)と一緒に撮っていた映画の中で、
彼はできる限り“誠信”のある事をやる。一方、私はズルばかり。
見る人は皆、私の事が嫌いになる。しまいには、私がひじ鉄を食うとスカっとする。
許冠傑の役柄は、人が良すぎるので笑い所がないんですよ。仮に笑いを作ったとしても・・・。
もし、一人の男がイヤラシイ眼差しで女の子に見惚れているとします。
それがある拍子に、バナナの皮に足を滑らせると、皆は面白いと思うハズです。
ところが、同じく一人の男性が、車に跳ねられそうになっている子供を目にして、
身の危険をも顧みず子供を助けようとする。
が、その時バナナの皮に足を滑らせても、誰も笑いませんよね。
どちらもバナナの皮を踏む事には変わり無いのですが、
一つは、多くの笑いを誘うが、一つは、ちっとも笑いが起こらない。
なぜなら、子供を助けようとする男性には、正義感があり、“誠信”があるからです。
だから、誰も彼が足を滑らせる光景なんて望まない。
でも、イヤラシイ目で女性を見つめる男性は、くたばってしまえと思う。
だから、私は“誠信”に基づいて映画を作っているのです。


息子や孫に対する教育の心得

  “誠信”と言う概念の重要性は、小さい頃から教え込まなければなりません。
では、どのような方法を用いるのか?それには三つの段階があります。

  まず第一段階!
一、二歳の子供と話しをする時は、一言一句にウソがないことです。
「泣かなかったら、後で飴ちゃんをあげるからね!」と言った以上、
子供が本当に泣かなかった時は、絶対に飴玉をあげなければなりません。
外出する時、「すぐ戻ってくるからね」と言ったのなら、絶対に早く戻ってこなければなりません。
帰りが翌日になるなんて絶対にダメです。
さもなければ、一度目、二度目と続くと、“誠信”が失われ始めるのです。
子供は二度とあなたを信用しなくなるでしょう。そうなると、将来どんな事になるか・・・。
子供ってのは、親の真似をしたがります。親こそが子供のお手本なのです。
10
歳までに一つの基礎が出来上がります。
あなたがウソをつくと、子供も一緒になってウソをつく人間になるのです。
だから、もし父親がウソツキならば、その子供もウソツキになるはずです。

  子供が1213歳ぐらいになった時には、また別の方法があります。
コミュニケーションです。会話が無いと言うのでは話になりませんが。
テクニックとしては、ある策略を使うのです。
私の場合はいつも、シナリオを書いている時をチャンスに、
子供たちにいくつか質問を投げかけるようにしていました。
「パパは今、大きな困難に直面しています。いいシナリオが思い浮かばないのです。
主人公は、こんな感じがいいでしょうか、それとも、あんな感じがいいでしょうか?」

すると彼らは、私にアイディアを与えてくれます。彼らも私と討論したいと思うんです。
なぜなら、私の役に立てると思うからです。それはとても光栄な事です!
実はこの過程の中で、私はあらゆる価値観を既に子供たちに伝えているのです。
特に、1314歳の敏感な年頃になると、毎回重要な映画を見終わった後は必ず、
それを機会に討論するようにしていました。
「これは、いい事だと思うかい?こういう事は、なぜやってはいけないのかな?」と。
知らず知らずの内に、私が伝えたいと思う価値観を子供たちに教え込ませているのです。
これが、第二段階です。

  1718歳の頃になると、
私は更なる究極の方法を使ってコミュニケーションをはかります。
それは、自分が今まさに直面している問題全てを子供たちに打ち明けるんです。
「パパはね、今重大な問題に悩んでいてね、明日決定を下さなければならないんだが、
どうしたらいいか分からないんだよ。一緒に考えてくれないかな?」

彼らは、真剣になって私のために考え、討論に参加してくれるんです。
実はこれこそが策略なんです!この過程の中で少しずつ自分の考えを
子供たちに注ぎ込んでいるのです。

  一番の慰めになるのは、時々、子供たちが私に電話で相談してくれる事です。
「パパ、時間のある時にお茶でもしない?今ある問題で悩んでるんだけど、
一緒に考えて欲しいの。」
と。私が子供たちと一緒に考えている時、
子供たちは既に分かっているんですよ。解決すべき問題が何かを。
後の細かい事については、気にする必要はありませんから、
私にとって、この瞬間が一番慰められる時なんです。

  当然、言うのは簡単です。“誠信”を100%成し遂げる事は非常に難しい。
我々は皆人間ですから、完璧に成し遂げられる人なんてどこにもいません。
そう言う私だって無理ですよ。例のゴルフ大会の優勝カップだって、ズルして勝ち得たものですから。
最近、あるゴルフ会から招待を受けまして、私にスピーチして欲しいと頼まれたのですが、
私はすぐにお断りしたんです。
「申し訳ないですが、その話はお受けできません。
私には、その資格がありませんので」
と。
“誠信”がもたらす影響と言うのが、自分にどれほど大きなものかを考えてみますと、
“誠信”に影響されない人生は無いと思うんです。
責任ある香港社会の一員として、我々は、自分の友人、子供たちのためにも、
高い“誠信”を育むべきだと思います。この方向に向かって進むべきです。
この社会をもっと楽しい場所にするために。

(日訳:管理人Baakkei

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COMMENT
映画制作の裏側に隠された、マイケル先生の「精神的基盤」を垣間見たようで、
すんごく貴重な講演記録です!

幼い子供を育てる、ってホント毎日が戦争ですが、

そこそこ大きくなってくると

今度は彼らを「一人のオトナ」として扱わないといけない瞬間がやってきます。

マイケルの育児話は、めちゃ参考になります。

子育ては親育て、ですわ。
Posted by きんこん at 2012年06月02日
★きんこんさん

>映画制作の裏側に隠された、マイケル先生の「精神的基盤」を垣間見たようで・・・
まさにそうなんですよね。^^
私がマイケルの作品に惹きつけられたのは、
笑いのセンスとか、ジョークがブラックだから・・ってのも勿論ありますが(笑)、
でも、そう言うものの後ろに強いメッセージ性を感じたからなんですよね。
で、毎回どの作品も、見終わった後に残る温かい、
ナンともいえない心地好さがたまらなくて。^^

マイケルの言っている事って、よくよく考えてみると、
結構当たり前の事だったりしますよね。
でも実際は、その当たり前の事がなかなかできない・・・。
また、当たり前の事を、当たり前のように言われると
単に綺麗ごとを並べているように聞こえたりするのですが、
ここがマイケルさんのスゴイ所で、
彼特有のヒネりの効いた巧みな話術によって、
すっと心に入ってくるんですよね。
そして、「はっ」っと気付かされるんです。
だいぶ遠回りしてしまったけど、
マイケルに出会えた自分は本当に幸せだと思います。^^

それにしても、マイケルの育児論には私も参りました。
私はまだ親にはなってませんが、
まさにきんこんさんが仰るように、
「子育て=親育て」なんだなぁって事に気付かされました。
Posted by Baakkei at 2012年06月04日
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