【補足】許冠文の唱える“誠信論”

2009.11.16 Mon

※前回(こちら)の“誠信論”に関するインタビュー記事を
補足として載せておきます。日付から考えると、
例の討論会に出席する前にインタビューしたようです。

※前回の“誠信論”の内容と重複する部分が殆どなので、
ここでは、そこでは語られなかったエピソードだけ抜粋しました。

  

【明報專訊より】
日付:20091116

 近頃、MTR(港鉄)の電飾看板やバスの車内CM
許冠文(マイケル・ホイ)の姿をよく目にする。8090年代、
それまでの主人公のイメージを覆す風変わりなキャラを演じてきた彼だが、
近年はスクリーン上で姿を見せる事も少なくなった。
それでも、常に時事について目を向けている彼は、
曽蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官の支持率の低下、及び関連の論争について、
以下のように分析している。
「“誠信”・・・全てはこの二文字で表すことができる」
これまでに彼が演じてきた様々なキャラクターを振り返ってみても、
とどのとまりは、“誠信”の二文字に尽きると彼は言う。

 マイケル曰く、
「“誠信”とはすなわち、誠実であり、信頼できる事である」
“誠信”には二つの段階がある。
つまり、自分自身に対して責任を持つ事であり、
そして他人に対しても責任を持つことである。
また、「誠実とは、自分が自分を信じることだ」と表現する。

 マイケルが小学生の時(50年代頃)、
香港はちょうど深刻な汚職問題を抱えており、
マイケル自身も、身を以ってそれを経験した。
当時、あるクラスメートの父親が香港警察の高官(探長)であったことから、
そのクラスの生徒は、少なからず甘い汁を吸う事ができたと言う。
「スゴイと思いましたねぇ。その生徒についていけば、
市場でタダで果物にありつけたり、麺だってタダ食いできるんですから」

毎回、香港警察の高官である父親の名前を出すだけで、
散々イイ思いができたようだ。

 それから中学に上がると、
マイケルの中にフェアプレーの概念が芽吹き始める。

かすかではあるが、“事のついでに他人の物を持ち去る”
と言う考えは間違っている
と思うようになったという。
「他の人は皆お金を払わないといけないのに、なぜ僕だけそれが免じられるのか?
リンゴを売っている人の立場からしたら、ヒドイ仕打ちではないか!」

当初は、それがすなわち“誠信”の概念である
と言う事が分からなかった彼は、
ただただ、
フライングをしたり二人がかりで一人を殴るのはよくない事だと思っていた。

「公平な状況の下で勝利を勝ち取ってこそ、
敗者は心から負けを認める事ができるんだ」
と。
それから歳月がゆっくりと過ぎて行くと、
彼は漸くそれが“誠信”であると言う事を知る。


 マイケルが芸能界に入ってからは、彼が映画で演じるキャラクターと言えば、
“食べるためなら、何だってするぜ!”と言うような小物の役柄が多かった。
彼は今、それらを振り返ってみると、実は皆“誠信”の表れだった事に気付く。
「私は常に、風変わりなキャラを演じてきました。
自分はとてもオモシロイ顔をしていると思ったからです。
悪い事をしたら、最後にひじ鉄を食らわされるような顔です」

では、このようなキャラクターが何故反響を呼んだのか?
「一般の観客は、そのようなキャラクターが痛い目にあっているのを見ると、
心がスカッっとするんですよ。皆心の中では、このような“誠信”に背く輩は、
罰を受けるべきだと思っているからです」



 もしも、良心の限界を超えてしまったら・・・、
その結果は、誠信のない社会が形成される事になるだろう。
そうなれば、社会は日に日に退化していき、
そこはもう“安心できる場所”ではなくなるのだとマイケルは考える。
「どんなに良い運に恵まれたとしても、毎回そう上手く行くもんじゃない!」
と言う事を青少年に忠告したいと。
「たかだか百ドル札一枚ぐらい抜き取ったぐらいでは、
ボスは何も言わないだろうと思うかもしれない。
でも、次に重要な任務があった時、
あなたにそれを任せる事は絶対にないでしょうね。
そんな事では、いくら昇進を願っても難しいでしょう」

マイケルはまた、笑いながらこう言った。
“ボスには気付かれてないさ”、なんて思わない方がいいですよ!
内心気付いているハズです。
それに、一度不実な行為を働いた結果は、
永遠に信頼されなくなるんです。


(日訳:管理人Baakkei
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