『Paco的風花歳月』 ゲスト:許冠文 @

2011.06.11 Sat

香港芸能界初の伝奇的な人物であり、また、
『金牌経理人(ゴールド・マネ−ジャー)』として知られる
香港の著名マネージャーPacoこと、黄柏高(パコ・ウォン)がホストを務める
TVB
のインタビュー番組、『Paco的風花歳月』に
2011
年、許冠文(マイケル・ホイ)先生がゲスト出演した。


以下は、許冠文vs Pacoの対談の内容になります。

※広東のマイケルファンが北京語に訳したもの
(所々敢えて意訳した所もあるそうな)を基に日本語に訳してみました。
よって、ご本人たちの発言と一字一句同じと言うわけにはいきませんが、
参考までに! また、約一時間番組で訳文がかなり長いため、
4
回に分けて投稿します。


Paco的風花歳
ゲスト:許冠文(マイケル・ホイ)
ホスト:黄柏高(Paco
収録日:2011531
放送日:2011611
動画:TV


オープニングメッセージ ―

“この世は悲しい” なんて言いたくない
皆、とっくに分かっていることだから

それでも私は、この世界をしっかり見つめながら
“この世は悲しい でもそれが全てではない”
と言う事を伝えたい

人々の記憶の中に、
すべての物事においてコメディ要素を見出せるような
私はそんなコメディアンになりたいんだ

許冠文(マイケル・ホイ)


看人生 (笑いに見る人生) by許冠文

観客が皆人間でありさえすれば、聞こえるはずだ
我々の発する同じ声が・・・ハハハって


黄:
マイケル、我々のインタビューに応じてくれて有難う 本当に光栄です。
許:私の方こそ、光栄だよ
黄:まず最初に、おめでとうって言わないといけませんね!
5
1日にイタリアで行われたウーディネ極東映画祭で“終身功労賞”に
輝いたわけですからね。シャンパンでも開けてお祝いといきましょうよ。
まずは、私から乾杯! ポンッ!
許:
・・・!!!
黄:ワ〜!
許:(笑)どうもありがとう!

許:
あの賞を頂いてから、私は考えていたんです。
“終身功労賞”ってのは、恐らくは、“ここまで”と言う意味でしょう。
私、言ったんです。功績なら、これからだって沢山ありますよ!
そんな賞を何もこんなに早く私にくれなくてもいいでしょうが!って。
黄:アハハハ
許:そしたら、こう言われました。
「私の年齢から考えると先に渡しておいた方がいいと思った。
保険を買ったようなものだ」
って。
黄:アハハハ
許:「もし将来新しい功績を残した時には、その賞杯に刻めばいいじゃないか」って。
黄:私もあなたとの共同制作で、もっと大きな功績が残せる事を願いますよ。
許:勿論ですとも!
でも、今回とても感動させられたんですよ。あのイタリア人たちなんですが、意外にも、
あらゆる香港映画に関する資料を何冊も収集していて、どの本もとても分厚いものなんです。
特にコメディとなると全部で34冊あったと思いますが、どれもこんなに分厚いんですよ!
すべてのコメディ映画が、私のも含めてです。登場人物や、ストーリー、またそれは
どのようにして生まれたのか、そして興行成績に至るまで全てが書き記されているんです。
今回の映画祭では、わたくし許冠文の映画を振り返ろうと言うことで34日間ほど
全部でだいたい8作品くらいが上映されたのですが、
イタリア人は皆広東語なんて分からないのに、ものすごく笑うんです。
だから今後もこのまま撮り続けていけば、我々香港の映画は世界の市場を狙えると思いましたね。
彼らに何度も聞かれましたよ。
「最近は、どうして香港のコメディ映画がこんなにも少ないのか?
もう少し沢山撮ってほしい。僕たちは香港のコメディ映画にとても注目しているんだ。
恐らく、大陸の市場に迎合しているのでしょう。あなたたちの映画は、
以前ほど活気が感じられない・・・」


黄:
彼らにとってアナタは、例えるならつまり、“コメディ界のブルース・リー”って所でしょうか!
そんな風に私には感じられます。それは全世界を震撼させる!違います?
許:以前は、香港のコメディ映画と言えば皆、伝統的なコメディ劇ばかりでした。
ダイアログとストーリーが主となり、アクションやケンカと言ったシーンは殆ど出てこない。
それが、アクションを使って表現するようになったのも、私の『半斤八兩(Mr.Boo!)』や、
『摩登保鏢(アヒルの警備保障)』からでしょう。例えば、『半斤八兩(Mr.Boo!)』の中の、
ソーセージを振り回すシーンは、その後の香港のカンフーコメディや、
現代アクションコメディにも影響を与えた。ダイアログよりビジュアル重視で、
観客は、耳よりも目を使って観賞するようになった。
恐らく、彼らイタリア人は、この影響がとても大きいと思ったのでしょう。


黄:ウーディネ映画祭では、『鬼馬雙星(Mr.Boo!ギャンブル大将)』『半斤八兩(Mr.Boo!)』、
『鶏同鴨講(ホンコン・フライド・ムービー)』の3作品が上映されたそうですが、
これらを選んだのには、それぞれ何か特別な意味があるのでしょうか?

許:
私も彼らに訊ねたことがあります。どうしてこの3作品で、他のは選らばれなかったのかって。
彼らが言うには、この3作品は特に国際的な市場あるのだとか!
彼らの言う意味は恐らく、“外国人が見ても伝えたい事が分かる”と言う意味なんでしょう。
例えば、んっ・・・『半斤八兩(Mr.Boo!)』・・・ヒック!(シャックリが出ちゃった) (笑)
黄:アハハハハハハ
許:
あ、(笑)・・・あれは階級の矛盾を描いた話ですから。
労働者はいつだって、ボスに搾取される事についてグチをこぼす。
このような事は、実はどの社会でも起こり得ることですからね。
『鶏同鴨講(ホンコン・フライド・ムービー)』で描いているのは、アメリカの飲食文化、
マクドナルドやケンタッキーがアジアを“侵略”すると言う事。アジアだけではないですね。
普通のレストランの隣にもマクドナルドがあって。でも彼らは、自国の主流(本質)が、
アメリカの飲食文化に“侵略されるわけがない”と自負している。
それが却って、彼らイタリア人の興味を引かせることになったのでしょう。
我々の国がなぜ彼らに“侵略”され、彼らがアジア市場に進出できたのかと。
昔、我々が食べていた魚蛋粉(魚のつみれ入りスープビーフン)や牛雑(牛のモツ煮)
といった食べ物は減少していく一方で、逆に外国から入ってきたファーストフードが
増加していくばかり。若者は皆、西洋のファーストフード店へは行くが、
我々が旨いと思う中国式レストランへは行かない。
これらの問題について、私は実際マジメにリサーチしたんですよ。
現在の問題は、単なる飲食文化だけに留まらず複雑です。
今の若者は、流行を追い求めます。レストランの店内では今流行りのミュージックが流れ、
雰囲気もいい。カップルはそこに5時間だって座っていられる。でもそれが、もし
燒鵝P粉(ガチョウのローストがデンと乗ったライスヌードル)の店だとしたら、
そんなに長くは座っていられないでしょう。
ファーストフード店の環境は良く、BGMもあって、現代の・・・
黄:それらは上辺だけの外観に過ぎないものなんですけどね。


黄:私は当時、『雙星報喜(TVBのバラエティ番組』をいつも見ていました。
その中のあるコントなのですが、何十年も経つのに未だに私の印象に深く残っているんです。
毎回思い返して見る度に笑ってしまう。何度見てもやっぱり面白い。
なぜなら、実際私にとっても身に覚えのある出来事だからです。

VTR観賞−
(マイケルが日本人のタクシー運転手に扮するネタby雙星報喜)

黄:このコントの中で、あなたは日本人のタクシー運転手に扮している。
一方、許冠傑はある場所へ向かうため、あなたのタクシーに乗り込む。
許冠傑は右のドアから乗車。するとアナタは何事もなかったかのように左側に周り、
ドアを開けてこう言った。「着きましたよ!ここがそうです!」って。アハハハハ!
実際、私も嘗て知らない国へ行った時、似たような事を経験した事があるんです。
あそこまでヒドくはないですけど・・・でも、私の時もちょっと歩けば済むような事で・・・。
マイケル、あなたの人生経験はこのように豊富ですが、
あなたの作品の中でどの作品が・・・、とにかく観客にウケなかったと言う例はありますか?
あなたは最もどうにかなる人でしょう!才能が枯れるなんて事、あるんですか?

許:基本、3人の私がいるんです。それぞれ、脚本、監督、役者と言う風に。
監督としての私はと言うと、いつもこの世の暗黒な一面を描き出す、
救世主のような人物だと思っています。
脚本家としての私が最も重要としている事は、十分な意外性を持った、
観客がこれまでに目にした事のないストーリーが書き上げられるかどうかと言う事です。
一番の理想としては、最初から観客に「分からない」と言う潜在意識を
植え付ける事ができたら一番よいのですが。
役者としての許冠文ですが、一番重要視しているのはルックスです!
ヒロインだってキレイでなければならない。
『秋天的童話(誰かがあなたを愛してる)』に出ていた女性のように!
この三人の“許冠文”たちの間では、常に衝突が起きるんです。
それはつまり、面白くないシーンがある時はいつも、
“役者マイケル”は、心の中で“脚本家マイケル”を怒鳴りつけるんです。
「何を考えてるんだ!こんなモノを私に演じさせやがって!」って。
すると、“脚本家マイケル”は、
「俺が言ってるのは、今笑えって意味じゃないんだよ!」と言う。
そして“監督マイケル”はこう言います。
「サスペンス性はあるが、社会的な警戒心が無い。
階級間の闘争が無いじゃないか!脚本家さんよ!」
続いて“脚本家マイケル”はこう言います。
「階級闘争なんて、私の知ったこっちゃないですよ!私が欲しいのは、
誰もが思いつかない意外性だけなんですよ!」

この三つの人格が、常に私の心の中で葛藤しているんです。
だから、先ほど言ったようなことですよ。面白くないシーンがある時はいつも、
“役者”はイライラする。しかし彼は自分の演技が悪いとは思わない。
あんなストーリーを考えるから悪いんだ!頭が干からびたんじゃないかと
“脚本家”のせいにしかしないんです。先ほどのあなたの質問ですが、
脚本をしていてアイディアに詰まる事はないか、と言う問題でしたよね。
“脚本家のマイケル”は、勿論「そんな事ない」と答えるでしょう。
でも、“役者マイケル”は、脚本家は最悪だと文句を言います。
自分の演技については反省しないクセにです。これは、私の複雑な心理闘争なんです。
こんなに長い間、未だに一本の映画も撮れないでいる。あっと言う間に10年ですよ。
その間、私が出演した幾つかの作品はどれも、ちょっと頼まれたからちょっと出てみた
と言うような役です。そう言うのは、別の監督の指示通りに演じただけですから、
私自身を発揮できる余地はそんなにありません。
しかし、自分が書いた脚本となると、私の心の中の三つの人格によって、
議論を闘わせるわけですから、“脚本家”が良いと思うものは、当然、
“役者”にとっては不満で・・・と、このような事の繰り返しなんです。
論議がひと段落すると、漸く面白いと思えるものが出来上がる。
ところが、翌年監督を務めるヤツが今度は、「面白くない」と言うんです。
ひいては、嘗て私がゴールデン・ハーベストを離れて独立してからは、
私の心の中には、もう一つの人格が生まれ、四人になりましたから。
後から加わったボスと言う人格が、“監督”、“脚本家”、“役者”の三人が
面白いと思っているのに、“ボス”は制作費がトンデモナイって・・・

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