許冠文的喜劇人生(上) A

2012.01.21 Sat

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邵逸夫、軍閥を演じるよう口説く

即興の歌が主題歌に

  裏方の中枢で活躍していたマイケルは、後に“喜劇王”に転身することになる。
彼を前面に押し出したのが、周梁淑怡(セリナ)だった。

「彼女は、普段から私を見ていて、動作が非常に面白いと思ったそうで、
とにかく今度正月の特番があるから、私はお笑い担当で、弟(阿Sam)には歌を歌わせよう
と言う事になりました。番組名は、面白がって『雙星報喜』と命名。
すると放送終了後、もっと見たいと言う視聴者からの電話が殺到したんです!」


第一回目の放送で、阿Samは歌を二曲、マイケルもソロで一曲披露したのだが、
『雙星報喜』が引き続き放送される事になると、セリナは一方的にマイケルにこう伝えた。

「あなたは笑いに専念した方がいいわ!歌の方は、弟さんに任せておけばいいから!」

この言葉にマイケルは、まるで頭を棒で殴られたかのようなショックを受けた。

「大学時代、私は常にバンドのボーカル担当でした。
だから、自分は歌が上手い方なのだと
思っていたんです。ところが、
彼女がそのように言ったと言う事は、
私の歌唱力は充分でないと言う事ですから!
人間、やるからにはNo.1を狙わなきゃ!二番手では意味が無いですからね。
中国で一番足が速いのは劉翔。でも、二番目に速いのは・・となると、
誰も覚えていないでしょう」


それ以来、彼は二度と人前で歌おうとはしなくなったのである。

  
  ホイ兄弟の人気は、急激な高まりを見せた。

表現スタイルにおいて、新生面を開いたのは言うまでも無く、
それは、
あの大物監督李翰祥(リー・ハンシャン)をも魅了したのである。
1972
年の邵氏(ショウブラザース)作品『大軍閥』の時は、主人公の龐大虎役に、
意外にもマイケルを起用した事で、マスコミからは“大金星”と形容された。

「この民国の軍閥と言うのは50過ぎの設定で、本来は台湾の俳優(崔福生)を
使う予定でした。ただ、ビザが下りなくて。その時、李翰祥(リー・ハンシャン)が
テレビで私の姿を見て、この若造、なかなか面白いヤツだ。ちょっと試してみたいと
思ったそうですが・・・私はその時まだ20代だったんです。自分では、なかなかの男前だと
ずっと思っていたんです。丸刈りなんてしたくありませんよ。
そしたら、邵逸夫(ランラン・ショウ)自ら私の所に電話を掛けてきましてね、
ちょっと遊んでみようじゃないか!髪なんてまた生えて来るんだから、って」

  その当時の邵氏(ショウブラザース)は、今日の無綫電視(TVB)と同じで、
出演者は殆どが専属契約を結んでいる役者であり、外部の人間を起用するなんて、
めったに無い事であった。マイケルは、大胆不敵にも三万ドルの出演料を提示した。

「邵氏(ショウブラザース)のギャラはとても少ないと聞いていましたが、
私は無視したんです。当時三万と言ったら、家半分が買える額です。
それでも珍しいことに承諾して貰えたんです」


撮影の間、李監督はマイケルとよく話をしたり、また彼を編集現場に連れて行き
作業の様子を見せたりした。

「私の父曰く、“最も大事な事は、影響力のある人間になる事、
そしてこの世界にいくらか貢献できる事だ”。
それまで私は、何をすればこの社会に貢献できるのか分からなかったんです。
李翰祥(リー・ハンシャン)の映画を撮る姿を見るまでは。
彼の撮る作品には、哲学的思考が込められていました。
『大軍閥』で言いたかった事は、中国は本来ならばもっと良い方向に発展できた。
しかし、この大軍閥のせいで台無しにされてしまった。
これを大きなスクリーンを通して、
全世界に公表する。
これこそまさに、世界に貢献していると言う事ではないですか?」


この時、マイケルは密かに決意を固めていた・・・

「私は思いました。映画こそが、私の一生の事業だ!と」

  
  『大軍閥』は、興行収入三百万を突破、味を占めた邵氏(ショウブラザース)は、

再びマイケルに声を掛けたのだが、彼は意外にも首を横に振った。

「北京語の作品が衰退し始めており、何の成果もあげられないでいました。
その後、李翰祥(リー・ハンシャン)から、それよりも、最後の皇帝溥儀(ふぎ)の話
(題名:『宣統皇帝』)でも撮らないかと言われ、私はとても興味をそそられました。
更には、メガネを選ぶなどして、一、二回ほど衣装合わせもしたのですが、
なぜか、邵逸夫(ランラン・ショウ)の計らいで企画は取りやめになったんです。
ただ、既に出演契約を交わしていたので、慌てて間に合わせの映画を三本撮ることに」


『醜聞(Scandal)』、『一樂也(The Happiest Moment)』、そして
『聲色犬馬(Sinful Confession)』の反響は悪くはなかった。だが、その時既に、
才能のある者が好色茶番劇に「心を奪われている」と心配する者もいた。
「悪い人にあたってしまった・・・」と、口々に感嘆の声を上げるのだった。

m.hui20120905-3.jpg

  「この三作品をなんとか撮り終えると、
次は監督業をどう自分のものしようか考え始めていました。するとうまい具合に、
Samが嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)と契約を結んだのです。ただ、皆の関心は、
李小龍(ブルース・リー)に向けられるばかりで、阿Samは冷遇されていたので、
私はゴールデンハーベストに対して企画を出してみたんです。
兄弟二人で、『雙星報喜』のような映画を撮るのはどうだろうか。
二時間全部、ギャグがギッシリ詰め込まれた映画です。
スポンサーの著作権の関係で(報“喜”では“七喜”と引っ掛かるため)、
タイトルは『鬼馬雙星(Mr.Boo!ギャンブル大将)』に改められましたが」

マイケルは嘗て、邵氏(ショウブラザース)に対して分け前を申し出た事があった。
だが、断られたため、それでライバル会社(ゴールデン・ハーベスト)に
話を持ちかける事になったのだと言う。

「その時、ハリウッド映画を見慣れていた私は既に、
その運営の仕組みが大体分かっていました。あんな8年契約で、
その上少ない報酬しか貰えないような制度は、根本的に成り立ちませんよ。
大企業が社員の給料を剥奪するなんて事、私は絶対に賛成しませんね」

  『葡京(ホテルリスボア・マカオ)』の上層部には、彼のパートナーが何人かいる。
カジノをぶらぶらしていると、イカサマ師たちがフラフラしているのを度々目撃した。
これを題材に映画を撮ったら面白いのではないかと考えたマイケル。
そこで、ギャンブラーを『鬼馬雙星』の中心人物に用いる事にしたのだと言う。
葡京(リスボア)でのロケは、二晩ぶっ通しで行われた。
従業員とチップは全て正真正銘の本物である。

「許冠傑と許冠英はどちらもギャンブルの事は分かりません。
ある晩のこと、照明のセッティングに3時間ほど掛かったので、
私は現場を離れてカジノでちょっと遊んでいたんです。
戻って来ると、“バカラでもやってきたのか?”と弟たちから聞かれ、
「ボロ負けだよ」と答えると、阿Samはギター片手にこう歌い始めた・・・

人生如賭博,贏輸都無時定,贏得餐笑,輸光唔駛……
(人生はギャンブルのようなもの 勝つも負けるも時の運
勝った所でそれは一時の喜びにすぎない、負けたからってカッカするまでもないさ・・・)♪

彼は歌いながら、“クックックックッ”って笑うんですよ。
明白なのは、彼は歌で私の事を笑っていると言う事です」

翌日、阿Samは新しい曲が書けたと言った。
つまりそれは、その前の晩、笑いながら口ずさんでいた歌詞に、
♪為兩餐乜都肯制前世(食べるためなら何だってするさ 前世の罪だ)♪
・・・と更に付け足したものだった。
これを映画の主題曲に使ってはどうかと言う案が出たが、マイケルは賛成しなかった。

「すごくイイ曲ではありますが、
その当時、阿
Samはずっと英語の歌を歌っていたからか、
その方が“品格”があるように感じられたんです。
広東語の歌は、なんだかチープで・・・」


映画封切前になり、未だ諦め切れないでいた阿Samはこう言った。
既にゴールデンハーベストの上層部にも聞かせたし、皆大満足していた。
一度試してみたらいいじゃないか? マイケルは答えた・・・。

「この歌はちょっと俗っぽいんだが・・・、お前がどうしてもと言うならイイだろう!」

結果、大変な事に歌も映画もダブルで勝利を収める事になるとは、
誰が予想しただろうか。


家政婦の料理風景にインスピレーション!
変装・侵入で黒社会スクープ


その後続けて発表された『天才與白癡』の興行収入は、
450
万香港ドルを上回る結果に。『鬼馬雙星』の610万ドルには及ばなかったものの、
それでも1975年度香港映画興行成績ランキング1位を獲得した。

「記録ってのは、破らないと即ちダメなんですよ。
前作で1000万の興行収入を得た。次回作では900万。
これで自分はスゴイんだなんて思っていたらイケませんよ。
そもそも一本ヒットすれば、その後の二、三本は客が入るものなんです。
見終わってから悪く言うのもまたキマリが悪いですしね」

この“教訓”を得たある日のこと、
映画の方向性を阿Samに相談していたマイケルは、
ボスと労働者の暗闘を描いてみたいと提案。
それを聞いた阿Samは、深く考えることなくこう言った。

「いいんじゃない!負の連鎖で共倒れ・・・皆山分けだ(半斤八両)!」

マイケルは、この方向で脚本を書くことに。自分は冷酷非情なボスを演じ、
Samと阿英(リッキー)には、彼の部下を演じさせた。
『半斤八両(Mr.Boo!)』は、公開初日には大行列ができ、記録破りの42万を記録。
総興行収入は、850万を上回った。

  「当時、私は既に世界のマーケットの研究を始めていました。
元祖喜劇王チャールズ・チャップリンの作品中、最も古く、且つ人気のあるモノに、
魚を釣ろうとしたら、革靴を釣り上げてしまうと言うシーンがありましてね、
セリフが一言も無いのに、観客は皆崩れ落ちるほど笑ったものです!」

そこで彼は、その“研究結果”を『半斤八両(Mr.Boo!)』の中で実験するべく、
アクションシーンを目一杯取り入れたのである。

「当初、ゴールデンハーベスト側はとても反対しました。
なぜなら、私の一番の強みは、言葉でのヤリトリにあるからだと。
相手が皮肉を言えば、こちらも減らず口を叩いて・・・
れが突然全く無くなるなんて!

ゴールデンハーベストの最も過敏な神経に触れたシーンと言うのが、
これまたマイケルが最も満足しているシーンであり、
つまりそれは、あの名場面と言われる“ニワトリ体操”のシーンだった。

「『雙星報喜』の頃から、私と言えば“勘違い(すれ違い)コント”がお得意だ
と思われていました。
『半斤八両(Mr.Boo!)』を撮り終えると、これを先ず最初に観たのが、
鄒文懷(レイモンド・チョウ)と、
ゴールデンハーベストの上層部数名。
彼らはこう言いました。
“この作品はとても面白い!ただ、所々長たらしいシーンがある。
特に、“ニワトリ体操”のくだり。チキンを掴んだまま10数分にも及ぶなんて、
ほどほどにしたまえ。言っておくが、“すれ違い(勘違い)コント”はなかった事にするように!」

  皮肉な事に、レイトショーが終わった頃、マイケルの元に
鄒文懷(レイモンド・チョウ)から緊急の電話が掛かってきた・・・

「あのシーンだがね、くれぐれもカットしないように!
ちょっとでも削ったらダメだぞ!」

マイケルは、ため息混じりに言った。

「アナタは、映画を撮るというのは難しい事だと言いましたが、
口先だけの当てにならないような事、言わないで頂きたい!
映画が完成した今、効果音から何まで出来上がっているんです。
それなのにアナタともあろう方が、正しい判断もできず、
更にはカットしろと言ったんですよ。
それでも本当に映画を分かっていると言えるんですか?」」

牛奶雞(ミルクに漬け込んで焼いたチキン)を作ろうとしているのに、
それで体操をしようなんて、マイケルはどうして思いついたのだろうか。

「私が脚本を練る自宅の書斎の隙間から、ちょうど対面にキッチンが見えるんです。
そこで、太った家政婦が食事の支度をしているのですが、
料理をする時は、小型テレビを横に置いておくんです。
彼女はテレビを見ながら作るのが大好きでねぇ。注意した事もあります。
そんな事していると、いつか本当に失敗するぞ!って。
もし本当にわけが分からなくなって、誤って別の物を作ってしまったら、
それはどんな物なんだろうって。チキン料理がイイかな・・・
で、体操していると思っていたら・・・・・・」

  
  彼は観察してネタを掴むのがとても好きらしい。ひいては、変装を施し、

黒社会や不毛の地へ踏み込むことだってあるほど。

「皆、私だと分かるのに、どうやってネタを掴むのか!
私はよく、『半斤八両
Mr.Boo!)』で使っていたあの出っ歯の付け歯を付けて
街へ繰り出すんですよ。
その上更に帽子を被ってあちこち出かけるんです。」

ある日、“付け歯のマイケル”は、ヤクザの中の一人と話をしていた。
霍英東(ヘンリー・フォック)のある一族が、ホテルで宴会しているのを目撃した
と言う話を耳にした彼は、心の中である策略を思いついた・・・


「どうして銀行を襲う必要があるだろうか?
今晩ここに集まっているのは全てがセレブである。そのご夫人たちは各々
まるで全財産を体に身に着けているかのような装いをしている。拳銃二丁持って突撃だ。
警察もいない。扉を閉めて鍵を掛け、何もかもを剥ぎ取る!」


実際に行動に移し試してみたわけではないが、論理上は成立すると考えたマイケル。

「これを映画の中に取り入れるなら、もっと誇張する必要がある。
ならば、映画館を襲って観客を強盗することにしよう。
数千人の客が次々とボディチェックを受けていく・・・」

  
  77
1月、『半斤八両(Mr.Boo!)』が尚絶賛上映中の時、
元朗、大欖涌水塘区で集団客を襲った強盗事件が発生。
議員や区長の中には、矛先をマイケルに向けて、
泥棒は映画のワンシーンを真似したと看做す者もいた。当時のマイケルは、
自分は“人民公敵(民衆の敵)”なのではないかと自嘲するほどだったと言う。
しかし、だからと言って彼は、映画にそれほどの凄い影響力がある事を認めたわけではない。
それに、毎日新聞をめくれば、その7割が強盗事件だ。


「たとえメディアに強い影響力があったとしても、まさかその
小さい害を避けるために、かえって自分が大きな害を被れとも言うのでしょうか?
それでは、撮影禁止にしたり、アクション映画は上映禁止にしたり、
ひいては、新聞にさえも強盗事件を載せるなと?」

  
  あれから
35年が経ち、もう一度古い話を持ち出してみると、
マイケルの口からは、また違った答えが返ってきた。

「当時、私があのように言ったのは、その時、社会には既に“強盗”と言うものが
存在したからです。だからこそ、私も啓発されたわけですし。
決して私が盗人たちに強盗やらせるよう示唆したわけではないと言う意味で・・・
ただ、数十年が経った今、もう一度同じ問題を問われたら、私はこう答えます。
どれも全て影響力がある!と。あの時、私はまだ気付いていなかった。
一つの作品がこんなにもヒットすれば、社会にだって必ず大きな影響力を持つと言う事を。
もしかしたら、そのせいで一部の観客にマイナスな行為、及び価値観を
教え導いてしまったのではないか?と。だから私は訂正しなければなりません。
私とは何の関係もない事だと言うのは、それは誤った考えでした。
たとえメディアが責任を負わねばならなくなったとしてもです。要は、
自分の子供たちに見せたくない物は、どんな事もやるべきではないのです。」


(日訳:管理人Baakkei

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