許冠文的喜劇人生(下) @

2012.02.04 Sat

『明報周刊』の“集體回憶”と言うコーナーに
二回に渡り許冠文先生のインタビュー記事が掲載されましたが、
今回はその後編です!前編は、こちらをご覧下さい。


◇雑誌名:明報周刊』
◇発売日:201224日(第2256期)
◇内容:P126P131 『許冠文的喜劇人生()

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以下、後編(本文のみ)の訳文になります。


梅艶芳に後悔の念
マイケル・ホイのコメディ人生(下)

コメディに対して、依然として大志を抱く許冠文(マイケル)だが、
今は度重なる苦難のため、彼のような賢者も
現実と向き合わざるを得ないのであった。

「香港市場に活気がなくなり、大陸に頼らなければならなくなった。
そこで色々と模索し始めると、今度はまた別の要因が出てきた。
もう若くない私が主役を続けていくとしたら、それはいったいどんな題材なのか?
おまけに阿Sam(許冠傑)は映画界から離れていき、それだけじゃない!
今となっては、阿英(許冠英)までもが・・・」

ますます困難を極めていく。

「いつか、私が再び映画を撮り始める日が来るとしたら、
それは間違いなく、私の年齢、兄弟がいないこと、
笑い所が必ずしも頻繁ではなくとも十分に堪能できること!
これらの問題を既に克服できたと言う事です」

ツアー客がフリープランでどこにでも入り込める今日だが、
本土らしさを活かすためには、香港にはもっと多くの“桃姐”と、
そして、許冠文兄貴が必要になるのだ。


契約書を盗んだ王羽にひらめく!
文芸映画への出演は幻に・・・
  

  1970
3月、“百萬小生(百万ドルの俳優)”王羽(ジミー・ウォング)は、
直筆で声明文を発表、ショウ・ブラザーズの傘下から既に離脱した事を示すと、
この事が元で、数年間に及ぶ訴訟が繰り広げられる事に・・・。
この一時世間を揺るがした大ニュースは、許冠文のインスピレーションを触発。
その8年後、『賣身契(身売りの契約書)/邦題:Mr.Boo!インベーダー作戦』が
完成したのである。

  「『獨臂刀(邦題:片腕必殺剣)』を撮り終えると、
ショウ・ブラザーズは、
王羽が他会社の作品に出演させないようにした。
憤懣やるかたない彼は、
ある日、人に会うと言う口実を付けて会社に引き返すと、
周囲を欺き契約書を盗み出し、それを粉々に破り捨ててやった・・・・・・。
私もいつも思うのですが、大きな組織と言うのは、タレントをイジメるのが好きですねぇ。
だから、いつか機会があれば、その事を書いてやろうと思っていたんです。
本来ならば、『賣身契(Mr.Boo!インベーダー作戦)』は、映画界で起きた話ですが、
私はTV業界の方が詳しいので、結果変更したんです。」

  何年も経ってから、『明報周刊』の取材を承諾した王羽は、
ショウ・ブラザーズ中文秘書課に二度潜入した事を率直に認めている。
盗み出した契約書は全部で百人分以上になり、
後から太子道にある自宅の屋上で、その全てを燃やしたと言う・・・・・・。
ショウ・ブラザーズは、契約書がいつの間にか無くなっている事については、
一言も言及することはなかった。利口な事に、“昇給”を理由に、
全ての役者に再度新たに契約を結ばせたのである。

  『賣身契(Mr.Boo!インベーダー作戦)』の興行総収入は、香港で800万ドルに迫った。
『半斤八両』の記録(850万超)を破る事はできなかったものの、めでたい事に、
台湾では、5千万台湾元と言う好成績を収めた。これは、マイケルが鋭意研鑚した結果、
どこにでも通用するアクションコメディの方程式がイケる!という事を証明したのだ。

「理論上は、ですけどね!
でもそれを実行するのは容易ではないんですよ。
ストーリーにも合わせないといけませんからね」


この時、目の前にはハリウッド進出のチャンスが幾つも転がっていた。
先ず一つには、文芸的戦争映画で、ピーター・オトゥール、三船敏郎との共演話だ。
何故またアメリカの映画会社の方からお声が掛かったのか聞いてみた所、
当時、マイケルはユーモラスにこう答えたのだった・・・

「恐らく、彼らは“欲張り”なんですよ。 
私のギャラは“高い”でしょう!」


実際の所、脚本に目を通したマイケルは、三人の出番が同じぐらいだった事と、
中国人を蔑むような役柄でもなかった事から、考えてみる気にはなったと言う。

  結果、マイケルが、予定通りこの文芸戦争作品の撮影のために、
アメリカ、そして日本に飛ぶことはなかった。80年製作のジャッキー・チェン、
バート・レイノルズ、ファラ・フォーセット等と共演した、ゴールデン・ハーベストと海外の
合作映画、『炮彈飛車(キャノンボール)』を除いては。

「これは私の人生観ですが、
潜在意識と言うのは悲劇のようなものだと思うんです。
人は、どこから来たのか、またこの世に来て何をするのかも知らない。
将来はどこへ向かうのかなんて、もっと分からない。
このような状況下におかれる事は、とてもやるせない事です。
でも、そうなってしまったからには、どのような態度で人生と向き合えばいいか?
それは勿論エンジョイする事です!こんなに短い時間で、どれだけ笑えるかですよ!
これを大前提として考えると、非コメディに属する作品は何であろうと、
私は撮る気はありません。それは洋画だって例外ではないのです!」


初代金像奨影帝を受賞拒否
美人ヒロインとの初共演で記録破れず


  80年代に突入しても、許氏兄弟は依然として栄華を謳歌していた。
第一弾『摩登保鑣(新Mr.Boo!アヒルの警備保障)』は爆笑を誘い、物凄い勢いで
興行収入1700万を叩き出し、再び新記録を樹立、旧正月の目玉作品となった。

80年代は、確かそれまでと比べると穏やかではなく、
一日中強盗事件のニュースを耳にし、街中の至る所では
警備車両を見かけるようになりました。
この世はどんどん危険になっていくような気がして、
我々を守るべき人間はいったい誰なんだろう?って。
現金輸送車に座り、手には銃を構え、この危険な世の中から守ってくれる
許冠傑の姿を想像してみて下さい。こうして生まれたのが、
『摩登保鑣(新Mr.Boo!アヒルの警備保障)』です。」


  富も名誉も両方手にしたこの作品で、マイケルは初代香港電影金像奨
(香港版アカデミー)の最優秀主演男優賞を獲得した。しかし、彼自身は
授賞式に出席することはなく、代わりに弟の許冠英が賞を受け取ることに。

「私はずっとあらゆる賞に対して・・・
例えそれがオスカーであっても、認めていませんでした。
芸術家と言うのは、競い合うべきではないと思っていたのです。
5
3なら53だと言う球技とは違うのですから、
何を以って私が周潤發に勝っていると言うんです? 
そうじゃない、ちょっとしたお遊びじゃないかと言う人もいますがね。
あなたには、4人の大統領をそこに立たせて、“最優秀大統領は・・・オバマ!”
なんて言える度胸があるんですか?
負けてしまった三人は、その場を気まずい感じで退散するのですか? 
いや、それはダメだと言うんでしょう!尊重しない事になるからと。
え?じゃあ大統領は尊重するのに、私のような芸能人には尊重なんて必要ないと?
これだって、私にとっては一生の仕事で、とても真剣な事なんですよ。
誰が遊びでやるもんですか?」


  時代が変われば風俗も変わるもの。彼の考え方にも少し変化が現れたようだ。

「金像奨は間違いなく映画事業を推進していると言えます。
もし、金像奨でさえも相手にしないようになれば、恐らく皆、
映画と言う業界さえも益々軽視するようになるでしょうから。
もし、それを宣伝の道具として見るならば、私は考えを改め支持しますよ!」


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COMMENT
賣身契…読んで字の通りですね。
身売りというと時代劇好きの私は昔の遊女のそれを連想してしまいます^^;

まさか香港最大の映画会社(無線電視の親会社でもある)ショウブラも似たようなコトをやらかしていたのは知りませんでした。
私はてっきり78年当時のTV業界の視聴率偏重主義を風刺したネタだけだと思っていました。
Posted by よーこぶー at 2012年10月03日
★よーこぶーさん

邵氏の契約問題は有名な話のようで、
実際に契約書を盗んだヤツがいると言う話はどこかで耳にしていたのですが、
まさか王羽だったとは…。でも同時に、「あ、な〜るほど」と思っちゃいましたが。^^
それにしても、マイケルさんが年間契約させられずに済んだのは、
ホント運がいいですよね。
Posted by Baakkei at 2012年10月08日

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