Home Sweet Home 許冠文C

2009.05.02 Sat

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鄭:あ、そういや、マイケル!未来のお婿さんが家に訪ねて来て、
ご自宅で一緒に食事をしたって言いましたよね?
あの時、自分の娘を彼に手渡さなければならないのかと思ったら、
彼を絞め殺してやりたくなったって。
でも、自分の時の事を思い出したりはしませんか?
もう何年も前の事でしょうが、あなたが初めて岳父の家を訪れた、
つまり、あなたが奥様の実家を訪れ食事をした時の事ですよ!
初めて向こうのお義父様とお会いした時、
向こうのご両親の反応もこんな感じだったのでしょうか?
許:あの時、私はテレビ局に入社したばかりで、クイズ番組の司会をしていました。
一方、義父はビジネスをやっていたんです。それもとても成功していました。
実を言うと、義父は私のことを気に入るハズがないだろうと私は思っていたんです。
娘が芸能人と結婚するとか、そう言うのは嫌いなんだろうなぁって。
でも、いずれにせよ会わなければなりませんからね。
義父の前で、私はただボーっと座っていました。
私はトークには自信がありますが、話す事がなくて・・・
鄭:当時、あなたの話術は相当素晴らしいものでしたよ!
許:しかしあの時の私は、何を話していいか分からなかったんです。
そう言う事を教えてくれる人もいなかったし。逆に、現在のこの娘婿の方が、
“ちゃんとした挨拶の仕方”と言うものを心得ているんですよぉ!
彼は私と妻をレストランに招待して、キャンドルディナーで持て成してくれました。
承諾を求める時も、大変誠意がこもったもので、
「私は、あなたの娘さんがとっても好きで、どうかお父様お母様に
結婚を認めて頂きたい。もし、許してくださるならば・・・」って、
とても改まった形で聞いて来るわけですよ。
「私がなぜ娘さんを愛しているか・・・」とか。とってもキチントしているんです。
あなたが父親なら、許しますか?私は答えましたよ。
「あぁ〜いいでしょう」って。妻も、「いいですよ」って。
そしたら、すかさず花束が送られるわけですよ!
彼の全ての過程がとっても正式なんですよ。
こう言うのは、当時の私だったら、なかなか出来ない事ですよ。
鄭:そうですよね!
許:でも彼は、今それを完璧にやってのけるんです。
本当に、相手の父親を前にして完璧にやってみせるんですから。
ワインを開けて、家族皆がそこに座っていて・・・
鄭:ホントですね。そんな状況でNOなんて言えませんよね!(笑)
許:まさかこの形式がとても重要だったなんて・・・。
私はこの生涯・・・(そう言うのは)何もしてあげられなかったわけですから。
だから、義父にとって私は不孝な婿だったなぁと感じるんです。
あの時、義父に対してちょっぴり不満もありましたし。
義父は、私の事を好きになるハズがない。私は貧乏だから!って
心の中では思っていたんです。
確か、一緒に食事をしていた時だったと思います。
義父が私に一言説教した事があって・・・。
彼に説教されたと言うのが、私にとっては既に面白く無いわけで。
鄭:そりゃそうでしょう!
許:人は、こうあるべきだ…とか、そう言うモットモな話ですよ。
食事が済んだ後、私はそそくさと立ち去ってしまいまして、
それが私の正式な結婚のご挨拶だったんです。
鄭:と言うと・・・
許:あの頃は、今のようにあんな正式な挨拶と言うのはなかったんです。
鄭:その時のお義父様の反応は、娘さんを渡したくないと言う感じでしたか?
必ずしも家庭環境が原因と言うのではなくて。
あなたが単に芸能人だからとか、それも違うかもしれませんが。
とにかく、娘をやりたくないと言う親の気持ちは感じられましたか?
許:表面上は、分かりませんでしたね。でも今、自分も年を取って、
人としても成長して、分かりましたよ。また自分でも同じ体験をしてみて・・・、
娘を取られるのが惜しくないなんて、あり得ませんよ!(笑)
鄭:そうですよね!(笑)
許:ただ、彼の場合は単に娘を失っただけだと仮定するとして、私の場合は・・・。
なぜなら、彼らはまだまだ男尊女卑が強かった世代ですから!
娘にはそれほど関心がなく、一番大事なのはやはり息子なんです。
当時はとても簡単でしたね。例えば遺産は全て息子に残して、
娘には何も残らない、と言う風に単純なものでしたから。
ま、これは一つの比喩に過ぎませんが、我々はこんな事しませんからね。
こんな事、できるわけがないですからね。
ですから我々の感覚では、義父は男尊女卑なんです。
娘は嫁に行けば、それでめでたしめでたし。学業もそれほど必要ではない。
そう言うのが伝わってきて、あの時の私は、義父は男尊女卑だと感じたんですよ。
彼にとっては、ただの娘に過ぎないんだ、と。
でも後になって、今思い返してみると、義父も内心は辛かっただろうなぁと。
だって、娘が嫁に行くんですからね!勿論、今の我々ほど強烈なものではないですが。
彼は気持ちに素直な人ではなかったので。我々ほどこんなに強烈ではないと思います。
それでも、彼にだって、我々と同じような気持ちはあったハズです。
それに義父は、婿に対して決してよくは思っていなかった・・・ハハハ(笑)
「この男は職業が……芸能界ねぇ…」って。
昔の芸能界・・・、通常スターとか、歌手とかは、一昔前の世代の人からしたら、
とっても身分の低い職業でしたからね。
鄭:はい!
許:だから私の妻も、とっても度胸があるんですよ!
彼女は、わざわざそんな男と結婚しようとしたんですからね。こんな男に。
いずれにせよ、あの時義父は、娘の結婚相手は事業で成功している者であって欲しいと
願っていたハズです。それでこそ家柄の釣り合いがとれるってもんだと。


大監督李翰祥の影響で、映画の見方が一変

鄭:あなたは、中文大学に通っていらしたんですよね?
先ほど、仕事を複数掛け持ちしないと生活できなかったと仰っていましたが。
あなたには沢山の兄弟姉妹がいらっしゃって、当時の家庭環境と言うのは、
あなたも経済的負担を背負わされるほどだったのですか?
許:10歳・・・8歳の時でしたかね。広州から香港へ逃れてきた父親には、
親しい人もおらず、我々兄弟4人を連れて、ダイヤモンドヒルのスラム街に移り住むと、
小さい木造バラックで二段ベッドを置いて・・・と言う風にして育ったんですよ。
あそこは水道水さえもないんです。谷川で身体を洗ったりして。
あの時、私は『志蓮淨苑』で勉強していました。
仏教修道院で、無料で教育が受けられたんです。
あの頃はとっても腕白で、学校から追い出されて!ハッハッハッ!(笑)
鄭:あなたが?
許:本当に腕白だったんです。これが我が家の貧困状況ですよ。
毎日の楽しみと言えば、父親が帰ってくる事でした。
当時、父は湾仔で働いていて、家に帰ってくるのは週二日だけでしたから。
鄭:何をされていたんです?
許:ホテルの支配人をしていました。でも生活するには不十分で・・・。
確か、月給は僅か200ドルでしたね。考えてもみて下さい。あの時、
養わなければならない子供がこんなに沢山いるのに、足りないでしょう。
米びつの中は常に寂しく、全員には行き渡らない状態だったんです!
随分長い間そんな状況に耐え、やっとの事で蘇屋邨(香港の公営住宅)へ移り住むと、
状況は少しよくなりました。と言っても、数人が一つのベッドに犇きあって寝るんですけどね!
師範学校を卒業するとスグに教師の仕事に就きました。
中学校で教えていたんです。また、中文大学にも合格したのですが、母が言うんです。
「あなたには、まだ養わなければならない弟たちがいるんだからね!」って。
「それでも大学に通いたいのなら、今まで通り家計に入れてくれるんならね」
それで、こんなに無理がある状況の中で進学する事になったんです。
やむなく大学の講義を全て犠牲にして、どんな仕事だって掛け持ちしましたよ。
・・・某テレビ局での仕事もそうです。当時、某局は開局したばかりで、
許冠傑が『Star Show』と言う番組を受け持っていたのですが、
ギャラは悪くないよと教えてくれたんです。私は言いましたよ。
「本当か?俺にも紹介してくれないか?」って。
鄭:(笑)
許:サムはボスに掛け合ってくれました。するとボスは、
「キミの兄を連れて来たまえ。会ってみようじゃないか!」と言ってくれましてね。
そのボスは外国人・・・オーストラリア人なんです。私が彼を訪ねて行くと、
「キミは何ができるんだ?」と聞かれたので、
「私は教師をやっておりますので、話術には自信があります!
なんだって喋れますよ!それで何ができるかは分かりませんが・・・」と答えたんです。
ま、テレビ局ですからね。これが面接だったんです。
「クイズ大会の案があるんだが、私はオーストラリアから来たもんだから、
よく分からなくて。香港全土の中高生を対象にクイズ選手権をやりたいんだよ。
キミに、その企画ができるだろうか?どういう形式で、点数配分はどうするか、
クイズの内容は?そして出場校は・・・?キミに6ヶ月の時間を与えるから、
企画書を準備してくれたまえ。やれるかな?」私の返事は「いいですとも!」
その日は、家に帰ると夜通し寝ないで作業しました。
私が嘗て教えた事のある幾つかの学校に連絡すると、
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校以上の参加希望がありました!
それから様々なクイズの形式を全て考えて行きます。
連絡した学校の内、既に参加を承諾してくれたのはどの校か、
セットのデザインは大まかにどんな感じなのか。
あの夜、60数ページに及ぶ企画書を書き上げたのです。
タイプライターで整然と文字を打ち込み、たった一晩でですよ!
私の妻まで呼んで!当時彼女は私のクラスメートでした。
一晩中寝ないで私の代わりに60ページ以上にも及ぶ字を打ち込んでくれたんです。
だからその後私の妻になったんですよ。分かったでしょう!(笑)
鄭:あぁ、恋愛感情はこうして生まれたわけですね!(笑)
許:感情も高まるわけですよ!苦難を共にしたんですからね!
午後テレビ局に行き、例のオーストラリア人のボスと面会。
あの日は午後2時でした。その翌日の朝、私はその企画書を持って・・・確か
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時半だったと記憶しています。門の前で彼が出勤して来るのを待ったんです。
彼がやって来て私を見ると、「キミは何者だね?」と聞かれましてね。
「私は、昨日あなたに企画書を作るよう言われた例の者ですよ!」
「あぁ!でもあの件なら、キミに数ヶ月の時間をやると言ったハズだが?
どうしてここにいるんだ?」
「それならもう出来上がりましたよ!ハハ〜!」
私がそう言うと、彼はちょっと笑って、部下に電話を掛けたんです。
当時『歡樂今宵』のディレクターは、蔡和平でした!
ボスは、「我々の放送作家の報酬はどれぐらいだ?」
電話越しで尋ねた後、私にこう言いました。あ、勿論英語ですよ!
「ミスター・ホイ、キミの企画書を見せて貰ったが、とてもよく出来ている」
そして、まるでジョークでも言うように続けて・・・
「月5千ドル支払おう。足りるかね?」
鄭:・・・?
許:「まぁなんとか足りますかね」って私は答えましたよ。(笑)
鄭:いつの時代です?5千ドル〜!70年代ですか?
許:・・・はい・・・あれは・・・えー・・・
鄭:恐らく70年代ですよね!わぁ〜
許:・・・そうですね・・・、まぁなんとか足りますよ!アハハハハ!(笑)
鄭:アハハハハ〜イ〜ヒヒっ
許:ボスは、「今、梁ディレクターが来るから、この件については
彼女と相談したまえ」って。それからはやっと少し収入が入るようになって、
それほど惨めな思いはしなくても済むようになりましたね。
それまでは、全て夜間学校で教えていましたから。
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日あったら7日ともね!そして大学卒業した年からです。
『雙星報喜』をやり始めたのは。『雙星報喜』は当時とても人気がありました。
でもその時は、将来芸能界に進もうなんて、これっぽっちも考えていなかったんですよ。
私の父が昔言ってましたから。ま、彼自身もバイオリン弾きですし、
私の母も広東オペラの歌手だったわけですが。彼らは、私が大きくなったら、
お金持ちになるか、李嘉誠みたいな・・・。それか、大統領になるかで、
決して芸能人なんかにはなってはいけないと考えていたんです。
芸能人ってのは、多くがアヘンを吸うものだからって。よく言ってましたよ。
「昔のそう言う芸能人ってのは、広東オペラを演じては、
舞台裏では屈んでアヘンを吸っていたものだ」って。
女性ですからねぇ!あなたもご存知でしょう!
鄭:(笑)

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