Home Sweet Home 許冠文D

2009.05.02 Sat

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許:
だからですね、一年半ぐらいは外に出て広告の仕事をしていました。
新しい事をやってみようって思ったんです。
ところが、私の遺伝子の中にも芸能人のDNAが含まれているなんて、
誰が想像したでしょう!どの仕事も私には合わなかったんですよ。
そんな時に偶々この機会に出会ったんです。私が(本当に)芸能界を去ろうとしていた、
その前に作ったのが『雙星報喜』だったんです。
『雙星報喜』は大変人気のある番組で、ボスは言いました。
「わ〜こいつはスゴイやつだ!引き続きもう1年やってくれないか!」
そこでもう1年『雙星報喜』をやった所、ある日、
ショウブラザースから一本の電話が掛かってきたんですよ。
「もしもし!大物監督・李翰祥(リー・ハンシャン)が『大軍閥』と言う
新作を撮るんだが、その主役を・・・とっても重要な主役だぞ、
キミにお願いしたいんだ!」って。
鄭:ハハハ
許:(笑)・・・私は言いました。「やってみましょう」って。
それで『大軍閥』を撮る事になり、髪を全部剃り落とすと、
意外にも売れっ子スターになっちゃったんです。
李翰祥は、私にとてもよくして下さいましたよ。
この巨匠と私は毎晩夜食を共にしたり、酒の席にお伴したりして。
明日撮るのはこう言うシーンだ・・・と、彼はツイデにシナリオの書き方を
教えてくれましたよ。彼は自分で脚本を書いていたんです。
「なぜこの人物を描く必要があるのか!この人物にはイケない所が
沢山あると思うんだ。この大軍閥はこうやって人々を騙しているんだよ。
国家に対してもそうだ。当時は・・・。だから明日の撮影ではね
『大軍閥』をこのように描こうと考えているんだ。」って。
この時、突然私は分かったんです!・・・映画と言うのは、
単に人を笑わせたるとか、そんな単純なものじゃないのだと。
そうではなくて、自分の思想を秩序正しく組み立てて行き、
それをフィルムに焼き付けると、あの大きなスクリーン上に映し出す。
そして何百万人もの観客に見せる事で、全世界に影響を及ぼす事もできるんだ!と。
この事に、私はとても興味を覚えました。それから注意深く観察するようになりました。
編集の仕方だったり、脚本の書き方だったり、どのように照明を当てるか・・・
その他沢山の事について。この映画が完成した後、私は自分自身に言ったんです。
それから妻にもね。「これは、私の一生の仕事になると思うんだ!」
妻は言いましたよ。「そう?」って。


大胆不敵なマイケル『鬼馬雙星』を撮る

許:その当時、嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)が設立したばかりの時で、
私は嘉禾に提案したんです。「私の弟は、あなたの所と既に契約していますが、
この23年全く出演の話がないようですね。もしなんでしたら、
私が弟と組んでみると言うのはどうでしょう。監督は私が務めます。」
アハハハハ!(笑) 鄒文懷(レイモンド・チョウ)は私に言いましたよ。
「おまえに分かるのか?・・・」
「一応分かってますよ!」
「一応分かってる?」
偶然にも、その時彼らはある監督を雇っていて、その監督がちょうど
映画を撮り終えた時だったんですよ。それで、その監督さんの協力の下、
『鬼馬雙星(Mr.BOO! ギャンブル大将)』を撮る事になったんです。
その監督と言うのは、宇森(ジョン・ウー)の事ですよ!
鄭:そう!宇森!
許:この『鬼馬雙星』を撮り終え、公開されるやいなや香港の記録を塗り替える事に。
鄭:そうでしたね!私もあなたのファンとして気付いた事があるのですが、
あなたの弟さんの歌からあなたの映画に至るまで、ひいては『雙星報喜』の頃から
ずっと社会を題材にしたものを作っていますが、何があなたにそうさせているのですか?
あなたの映画の方向性もそのようですが。
許:私は、李翰祥氏に感動させられたんですよ!
彼は、いつも自分の喜怒哀楽を、この世の見方と言うものについての喜怒哀楽を、
彼自身の物語の中に取り込み、作品にしていたなんて!
私も、自分が見た社会の現状について憤慨する・・・そう言った感情を、
不条理な状況についてを、キャラクターを使って吐き出したい!
と言う考えからです。


父は阿Samバンド活動に反対

鄭:あなたの幼少時代の事から映画の事まで話をしてきましたが、
さて、お次はあなたの4兄弟についてお聞きしたいのですが。
兄弟仲はどうなんですか?あなたは弟さんたちを可愛がっていました?
やはり彼らも、多少なりともあなたの影響を受けたのでしょう!
全員がこの世界で生きていますからね!
許:我々兄弟がこの世界に入ったのも、父と母の影響だと思いますよ。
小さい頃から、自分の両親の姿を見ていたわけですから。
父はバイオリンを弾き、母は広東オペラを歌う姿をね。
ダイヤモンドヒルに住んでいた頃は何にもありませんでしたが、
父と母は、家の入り口で小さい腰掛に座って音楽を奏で、
私たちは腰掛に座ってそれを鑑賞していました。
恐らく、一番最初に芸能界に入ったのは許冠傑でしょう。
彼は小さい頃からギターを弾き始め、バンドを組んで稼いでいましたからね。
鄭:あなたは先ほど仰いましたよね。お父様は、あなた方がこの世界に入る事を
よく思っていなかったと。でも許冠傑は、若い頃から不良少年だったんですね。
バンドを組んでいたと言うことは、その時もう不良だった・・・
(あの時代)バンドをやっているなんて、それはやっぱり不良でしょう?
許:まったくそうですね。
鄭:ですよね!立派なね!あなたのお父様は叱り付けたりしなかったのですか?
許:毎日のように怒鳴ってましたよ。毎日夜遅くに帰って来るものだから、
戸を閉めて家には入れないようにして。「出て行け!」って叫んでいましたよ。
その時は、既に蘇屋邨(公営住宅)に移り住んでいたので、廊下で寝なさいって。
そしてある晩のこと、最もドラマチックな事が起きたんです。
父はハサミを手にすると、彼が寝たのを見計らって、その隙に、
許冠傑の髪を切り落とすと地面にバンと投げ捨てたんですよ。
彼は泣きながら家を飛び出そうとすると・・・
鄭:ヒャッヒャッヒャッ
許:それを母が引き止めようとするんです。「そんな事しないのぉ!」って
こんな感じなんですよ。
鄭:まるでお芝居しているみたいだ!(笑)
許:本当に芝居みたいでしたよ!父は、しょっちゅう彼のを事を、
「馬鹿者!」と怒鳴りつけてました。「そんな事するなと言ったハズだぞ!」って。
「どうしてもやると言うなら・・・」って、本当に芝居しているみたいでしたね。
勿論、だいぶ後になって、許冠傑が人気者になると、
父は二度とそんな風には言わなくなりましたけどね。
例えば、作詞について!初期の頃、許冠傑がまだそれほど売れていない時、
父は相変わらず文句を言ってましたよ。
「他人を見習ったらどうだ。ワケの分からんものを書きおって。
勉強もできなけりゃ、才能も無い。唐滌生の歌詞を見なさい。
それに比べて何だ!お前の書いているモノと来たら・・・
何なんだ、まるでデタラメじゃないか・・・」って。
それが『鬼馬雙星』の後、売れっ子となり、彼の楽曲が大ヒットすると、
「お前の文学的素養もなかなかのものなんだな!」って言うようになったんです。
鄭:ハハハ!物言いを改めたわけですね。
許:そうなんです!改めたんです。「幸い、私の言う通りにしていたからな・・・」って。
Samは父の事をとても尊敬しているんです。広東語の読み方だったり、
言い回しだったり、初期の頃はしょっちゅう父に教わっていましたよ。
息子のこれほどまでの成功を目の当たりにして、父も思ったハズです・・・
恐らく、こんなにも成功した芸人を見た事はなかったでしょうから。
香港中の大人がこぞって、とりわけこの曲を歌うんですから。
鄭:そうですよ!
許:わ〜さぞかし大儲けできた事でしょう?!父にとっては初めて見る光景だったハズです。
一人の芸人が、そんなに稼いでしまうなんて・・・(笑)
鄭:(笑)
許:それからですね。父は、母もそうですが、少しずつ考えを改めるように・・・
鄭:芸能人に対する見方が、完全に変わったんですね。
許:(両親だけではなく)また香港人も、その時から芸能人に対する見方が
変わったように私は感じました。

鄭:先ほどあなたは、お父様が許冠傑の髪を切り落としたと仰いましたよね。
それで家を飛び出して行こうとしたとか何とか・・・。
それって本当にグレる事への伏線ですよ。
彼の場合その可能性がとても高い・・・だって不良だったのですから!
もしかしたら、別の道に踏み外して、堕落していたかも?
なにか転換期が?それとも…。彼はどうして道を踏み外さなかったのですか?
許:これは、両親の教育と大いに関係していると私は思いますよ。本当に!
先ず、私の父母は、特に父親の方は、ある事にこだわっていて・・・
それは、何が何でも、とにかく学業だけは終了させなければならない
と言う教えが小さい頃からの習慣になっていたんです。勉強が最も大事だと!
私の父は、いつも傲慢でした。私は知識人なんだ!って。
我々は教養がある人間なんだ、そこら辺の体中銭臭い、貪欲な連中とは違うんだ!
お前の父は詩が分かるんだからな!(笑)
鄭:それにバイオリンも弾けますしね(笑)
許:我々兄弟も既に習慣になっていたんですよ。
素晴らしい人物になるには、学問と思想が必要なんだって。
我々はこの事を重要視していたので、例え不良であろうが、
他とは違う、異質の不良だったんですよ!(笑)自制心のあるね!
鄭:教養のある不良!(笑)
許:薬物乱用はダメだって事はよく分かっていますからね。
それに、努力してこそ得られるものがあるって事もね!

鄭:あなたが『雙星報喜』で阿Samと共演する前、
兄弟間の親密さは、どれ程のものだったのですか?
許:私が芸能界に入ってからも、弟たちは皆とても…
実際はそれぞれが自分の仕事に励んでいました。
ただ、映画を撮るとなると、ある一定の長い時間を共に過ごすわけですし、
映画を撮っている時は、皆とても協力的ですからね。
たいていは、私の言う事を聞いてくれましたよ。
私が言っているのは、“映画について”と言う意味ですよ!
音楽に関する事は、全て阿Samに任せていましたから。
全部彼の言う通りにしていました。兄弟間の心の絆も悪く無かったですよ。
例えば、許冠英!
鄭:はい
許:私は機会があれば、出来る限り彼を連れて、
少しでも多く芝居のチャンスを与えるようにしていました。

+ + +

鄭:当時、あなたは仕事でとても苦労したわけですが、
今、あなたは既に次の世代を抱えています。
あなたは、彼らに苦労させたくないと思う派ですか?
許:その点については、私と妻の間で矛盾があるんです。
妻の考えは、私の世代はとても苦労した。でも今、彼らの世代は、
そう言う環境ではありませんから、そんな苦労させる必要はないと言うものです。
鄭:そうですよ!
許:でも、私の考えは違うんです。苦労させてこそ分別がつくわけですし、
そうしてこそ自分の身を守る事ができるようになると思うんです。
私は娘に尋ねた事があるんです。
「お金を稼ぐと言う事がどれだけ大変な事か分かるか?」って。
その時彼女はまだ小さくて、わずか10歳ちょっとでしたが、
「そうね」って答えたんです。(笑)私は常に妻に言ってました。
少しでも辛い目に合わせないと、将来、事の分別が付かない人間になってしまうって。

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