許冠文的喜劇人生(上) A

2012.01.21 Sat

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邵逸夫、軍閥を演じるよう口説く

即興の歌が主題歌に

  裏方の中枢で活躍していたマイケルは、後に“喜劇王”に転身することになる。
彼を前面に押し出したのが、周梁淑怡(セリナ)だった。

「彼女は、普段から私を見ていて、動作が非常に面白いと思ったそうで、
とにかく今度正月の特番があるから、私はお笑い担当で、弟(阿Sam)には歌を歌わせよう
と言う事になりました。番組名は、面白がって『雙星報喜』と命名。
すると放送終了後、もっと見たいと言う視聴者からの電話が殺到したんです!」


第一回目の放送で、阿Samは歌を二曲、マイケルもソロで一曲披露したのだが、
『雙星報喜』が引き続き放送される事になると、セリナは一方的にマイケルにこう伝えた。

「あなたは笑いに専念した方がいいわ!歌の方は、弟さんに任せておけばいいから!」

この言葉にマイケルは、まるで頭を棒で殴られたかのようなショックを受けた。

「大学時代、私は常にバンドのボーカル担当でした。
だから、自分は歌が上手い方なのだと
思っていたんです。ところが、
彼女がそのように言ったと言う事は、
私の歌唱力は充分でないと言う事ですから!
人間、やるからにはNo.1を狙わなきゃ!二番手では意味が無いですからね。
中国で一番足が速いのは劉翔。でも、二番目に速いのは・・となると、
誰も覚えていないでしょう」


それ以来、彼は二度と人前で歌おうとはしなくなったのである。

  
  ホイ兄弟の人気は、急激な高まりを見せた。

表現スタイルにおいて、新生面を開いたのは言うまでも無く、
それは、
あの大物監督李翰祥(リー・ハンシャン)をも魅了したのである。
1972
年の邵氏(ショウブラザース)作品『大軍閥』の時は、主人公の龐大虎役に、
意外にもマイケルを起用した事で、マスコミからは“大金星”と形容された。

「この民国の軍閥と言うのは50過ぎの設定で、本来は台湾の俳優(崔福生)を
使う予定でした。ただ、ビザが下りなくて。その時、李翰祥(リー・ハンシャン)が
テレビで私の姿を見て、この若造、なかなか面白いヤツだ。ちょっと試してみたいと
思ったそうですが・・・私はその時まだ20代だったんです。自分では、なかなかの男前だと
ずっと思っていたんです。丸刈りなんてしたくありませんよ。
そしたら、邵逸夫(ランラン・ショウ)自ら私の所に電話を掛けてきましてね、
ちょっと遊んでみようじゃないか!髪なんてまた生えて来るんだから、って」

  その当時の邵氏(ショウブラザース)は、今日の無綫電視(TVB)と同じで、
出演者は殆どが専属契約を結んでいる役者であり、外部の人間を起用するなんて、
めったに無い事であった。マイケルは、大胆不敵にも三万ドルの出演料を提示した。

「邵氏(ショウブラザース)のギャラはとても少ないと聞いていましたが、
私は無視したんです。当時三万と言ったら、家半分が買える額です。
それでも珍しいことに承諾して貰えたんです」


撮影の間、李監督はマイケルとよく話をしたり、また彼を編集現場に連れて行き
作業の様子を見せたりした。

「私の父曰く、“最も大事な事は、影響力のある人間になる事、
そしてこの世界にいくらか貢献できる事だ”。
それまで私は、何をすればこの社会に貢献できるのか分からなかったんです。
李翰祥(リー・ハンシャン)の映画を撮る姿を見るまでは。
彼の撮る作品には、哲学的思考が込められていました。
『大軍閥』で言いたかった事は、中国は本来ならばもっと良い方向に発展できた。
しかし、この大軍閥のせいで台無しにされてしまった。
これを大きなスクリーンを通して、
全世界に公表する。
これこそまさに、世界に貢献していると言う事ではないですか?」


この時、マイケルは密かに決意を固めていた・・・

「私は思いました。映画こそが、私の一生の事業だ!と」

  
  『大軍閥』は、興行収入三百万を突破、味を占めた邵氏(ショウブラザース)は、

再びマイケルに声を掛けたのだが、彼は意外にも首を横に振った。

「北京語の作品が衰退し始めており、何の成果もあげられないでいました。
その後、李翰祥(リー・ハンシャン)から、それよりも、最後の皇帝溥儀(ふぎ)の話
(題名:『宣統皇帝』)でも撮らないかと言われ、私はとても興味をそそられました。
更には、メガネを選ぶなどして、一、二回ほど衣装合わせもしたのですが、
なぜか、邵逸夫(ランラン・ショウ)の計らいで企画は取りやめになったんです。
ただ、既に出演契約を交わしていたので、慌てて間に合わせの映画を三本撮ることに」


『醜聞(Scandal)』、『一樂也(The Happiest Moment)』、そして
『聲色犬馬(Sinful Confession)』の反響は悪くはなかった。だが、その時既に、
才能のある者が好色茶番劇に「心を奪われている」と心配する者もいた。
「悪い人にあたってしまった・・・」と、口々に感嘆の声を上げるのだった。

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  「この三作品をなんとか撮り終えると、
次は監督業をどう自分のものしようか考え始めていました。するとうまい具合に、
Samが嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)と契約を結んだのです。ただ、皆の関心は、
李小龍(ブルース・リー)に向けられるばかりで、阿Samは冷遇されていたので、
私はゴールデンハーベストに対して企画を出してみたんです。
兄弟二人で、『雙星報喜』のような映画を撮るのはどうだろうか。
二時間全部、ギャグがギッシリ詰め込まれた映画です。
スポンサーの著作権の関係で(報“喜”では“七喜”と引っ掛かるため)、
タイトルは『鬼馬雙星(Mr.Boo!ギャンブル大将)』に改められましたが」

マイケルは嘗て、邵氏(ショウブラザース)に対して分け前を申し出た事があった。
だが、断られたため、それでライバル会社(ゴールデン・ハーベスト)に
話を持ちかける事になったのだと言う。

「その時、ハリウッド映画を見慣れていた私は既に、
その運営の仕組みが大体分かっていました。あんな8年契約で、
その上少ない報酬しか貰えないような制度は、根本的に成り立ちませんよ。
大企業が社員の給料を剥奪するなんて事、私は絶対に賛成しませんね」

  『葡京(ホテルリスボア・マカオ)』の上層部には、彼のパートナーが何人かいる。
カジノをぶらぶらしていると、イカサマ師たちがフラフラしているのを度々目撃した。
これを題材に映画を撮ったら面白いのではないかと考えたマイケル。
そこで、ギャンブラーを『鬼馬雙星』の中心人物に用いる事にしたのだと言う。
葡京(リスボア)でのロケは、二晩ぶっ通しで行われた。
従業員とチップは全て正真正銘の本物である。

「許冠傑と許冠英はどちらもギャンブルの事は分かりません。
ある晩のこと、照明のセッティングに3時間ほど掛かったので、
私は現場を離れてカジノでちょっと遊んでいたんです。
戻って来ると、“バカラでもやってきたのか?”と弟たちから聞かれ、
「ボロ負けだよ」と答えると、阿Samはギター片手にこう歌い始めた・・・

人生如賭博,贏輸都無時定,贏得餐笑,輸光唔駛……
(人生はギャンブルのようなもの 勝つも負けるも時の運
勝った所でそれは一時の喜びにすぎない、負けたからってカッカするまでもないさ・・・)♪

彼は歌いながら、“クックックックッ”って笑うんですよ。
明白なのは、彼は歌で私の事を笑っていると言う事です」

翌日、阿Samは新しい曲が書けたと言った。
つまりそれは、その前の晩、笑いながら口ずさんでいた歌詞に、
♪為兩餐乜都肯制前世(食べるためなら何だってするさ 前世の罪だ)♪
・・・と更に付け足したものだった。
これを映画の主題曲に使ってはどうかと言う案が出たが、マイケルは賛成しなかった。

「すごくイイ曲ではありますが、
その当時、阿
Samはずっと英語の歌を歌っていたからか、
その方が“品格”があるように感じられたんです。
広東語の歌は、なんだかチープで・・・」


映画封切前になり、未だ諦め切れないでいた阿Samはこう言った。
既にゴールデンハーベストの上層部にも聞かせたし、皆大満足していた。
一度試してみたらいいじゃないか? マイケルは答えた・・・。

「この歌はちょっと俗っぽいんだが・・・、お前がどうしてもと言うならイイだろう!」

結果、大変な事に歌も映画もダブルで勝利を収める事になるとは、
誰が予想しただろうか。


家政婦の料理風景にインスピレーション!
変装・侵入で黒社会スクープ


その後続けて発表された『天才與白癡』の興行収入は、
450
万香港ドルを上回る結果に。『鬼馬雙星』の610万ドルには及ばなかったものの、
それでも1975年度香港映画興行成績ランキング1位を獲得した。

「記録ってのは、破らないと即ちダメなんですよ。
前作で1000万の興行収入を得た。次回作では900万。
これで自分はスゴイんだなんて思っていたらイケませんよ。
そもそも一本ヒットすれば、その後の二、三本は客が入るものなんです。
見終わってから悪く言うのもまたキマリが悪いですしね」

この“教訓”を得たある日のこと、
映画の方向性を阿Samに相談していたマイケルは、
ボスと労働者の暗闘を描いてみたいと提案。
それを聞いた阿Samは、深く考えることなくこう言った。

「いいんじゃない!負の連鎖で共倒れ・・・皆山分けだ(半斤八両)!」

マイケルは、この方向で脚本を書くことに。自分は冷酷非情なボスを演じ、
Samと阿英(リッキー)には、彼の部下を演じさせた。
『半斤八両(Mr.Boo!)』は、公開初日には大行列ができ、記録破りの42万を記録。
総興行収入は、850万を上回った。

  「当時、私は既に世界のマーケットの研究を始めていました。
元祖喜劇王チャールズ・チャップリンの作品中、最も古く、且つ人気のあるモノに、
魚を釣ろうとしたら、革靴を釣り上げてしまうと言うシーンがありましてね、
セリフが一言も無いのに、観客は皆崩れ落ちるほど笑ったものです!」

そこで彼は、その“研究結果”を『半斤八両(Mr.Boo!)』の中で実験するべく、
アクションシーンを目一杯取り入れたのである。

「当初、ゴールデンハーベスト側はとても反対しました。
なぜなら、私の一番の強みは、言葉でのヤリトリにあるからだと。
相手が皮肉を言えば、こちらも減らず口を叩いて・・・
れが突然全く無くなるなんて!

ゴールデンハーベストの最も過敏な神経に触れたシーンと言うのが、
これまたマイケルが最も満足しているシーンであり、
つまりそれは、あの名場面と言われる“ニワトリ体操”のシーンだった。

「『雙星報喜』の頃から、私と言えば“勘違い(すれ違い)コント”がお得意だ
と思われていました。
『半斤八両(Mr.Boo!)』を撮り終えると、これを先ず最初に観たのが、
鄒文懷(レイモンド・チョウ)と、
ゴールデンハーベストの上層部数名。
彼らはこう言いました。
“この作品はとても面白い!ただ、所々長たらしいシーンがある。
特に、“ニワトリ体操”のくだり。チキンを掴んだまま10数分にも及ぶなんて、
ほどほどにしたまえ。言っておくが、“すれ違い(勘違い)コント”はなかった事にするように!」

  皮肉な事に、レイトショーが終わった頃、マイケルの元に
鄒文懷(レイモンド・チョウ)から緊急の電話が掛かってきた・・・

「あのシーンだがね、くれぐれもカットしないように!
ちょっとでも削ったらダメだぞ!」

マイケルは、ため息混じりに言った。

「アナタは、映画を撮るというのは難しい事だと言いましたが、
口先だけの当てにならないような事、言わないで頂きたい!
映画が完成した今、効果音から何まで出来上がっているんです。
それなのにアナタともあろう方が、正しい判断もできず、
更にはカットしろと言ったんですよ。
それでも本当に映画を分かっていると言えるんですか?」」

牛奶雞(ミルクに漬け込んで焼いたチキン)を作ろうとしているのに、
それで体操をしようなんて、マイケルはどうして思いついたのだろうか。

「私が脚本を練る自宅の書斎の隙間から、ちょうど対面にキッチンが見えるんです。
そこで、太った家政婦が食事の支度をしているのですが、
料理をする時は、小型テレビを横に置いておくんです。
彼女はテレビを見ながら作るのが大好きでねぇ。注意した事もあります。
そんな事していると、いつか本当に失敗するぞ!って。
もし本当にわけが分からなくなって、誤って別の物を作ってしまったら、
それはどんな物なんだろうって。チキン料理がイイかな・・・
で、体操していると思っていたら・・・・・・」

  
  彼は観察してネタを掴むのがとても好きらしい。ひいては、変装を施し、

黒社会や不毛の地へ踏み込むことだってあるほど。

「皆、私だと分かるのに、どうやってネタを掴むのか!
私はよく、『半斤八両
Mr.Boo!)』で使っていたあの出っ歯の付け歯を付けて
街へ繰り出すんですよ。
その上更に帽子を被ってあちこち出かけるんです。」

ある日、“付け歯のマイケル”は、ヤクザの中の一人と話をしていた。
霍英東(ヘンリー・フォック)のある一族が、ホテルで宴会しているのを目撃した
と言う話を耳にした彼は、心の中である策略を思いついた・・・


「どうして銀行を襲う必要があるだろうか?
今晩ここに集まっているのは全てがセレブである。そのご夫人たちは各々
まるで全財産を体に身に着けているかのような装いをしている。拳銃二丁持って突撃だ。
警察もいない。扉を閉めて鍵を掛け、何もかもを剥ぎ取る!」


実際に行動に移し試してみたわけではないが、論理上は成立すると考えたマイケル。

「これを映画の中に取り入れるなら、もっと誇張する必要がある。
ならば、映画館を襲って観客を強盗することにしよう。
数千人の客が次々とボディチェックを受けていく・・・」

  
  77
1月、『半斤八両(Mr.Boo!)』が尚絶賛上映中の時、
元朗、大欖涌水塘区で集団客を襲った強盗事件が発生。
議員や区長の中には、矛先をマイケルに向けて、
泥棒は映画のワンシーンを真似したと看做す者もいた。当時のマイケルは、
自分は“人民公敵(民衆の敵)”なのではないかと自嘲するほどだったと言う。
しかし、だからと言って彼は、映画にそれほどの凄い影響力がある事を認めたわけではない。
それに、毎日新聞をめくれば、その7割が強盗事件だ。


「たとえメディアに強い影響力があったとしても、まさかその
小さい害を避けるために、かえって自分が大きな害を被れとも言うのでしょうか?
それでは、撮影禁止にしたり、アクション映画は上映禁止にしたり、
ひいては、新聞にさえも強盗事件を載せるなと?」

  
  あれから
35年が経ち、もう一度古い話を持ち出してみると、
マイケルの口からは、また違った答えが返ってきた。

「当時、私があのように言ったのは、その時、社会には既に“強盗”と言うものが
存在したからです。だからこそ、私も啓発されたわけですし。
決して私が盗人たちに強盗やらせるよう示唆したわけではないと言う意味で・・・
ただ、数十年が経った今、もう一度同じ問題を問われたら、私はこう答えます。
どれも全て影響力がある!と。あの時、私はまだ気付いていなかった。
一つの作品がこんなにもヒットすれば、社会にだって必ず大きな影響力を持つと言う事を。
もしかしたら、そのせいで一部の観客にマイナスな行為、及び価値観を
教え導いてしまったのではないか?と。だから私は訂正しなければなりません。
私とは何の関係もない事だと言うのは、それは誤った考えでした。
たとえメディアが責任を負わねばならなくなったとしてもです。要は、
自分の子供たちに見せたくない物は、どんな事もやるべきではないのです。」


(日訳:管理人Baakkei

許冠文的喜劇人生(上) @

今年、『明報周刊』の“集體回憶”と言うコーナーに二回に渡って
許冠文先生のインタビュー記事が掲載されました。
今年の二月に行われた例のチャリティートークショー男女戦争
宣伝のために特集されたようですが、その内容は、
映画人生を中心に綴られる興味深い“許冠文史”でありました!

※文中、マイケルが『鬼馬雙星』の主題曲誕生のキッカケについて
チラっと触れていますが、これには続きと言うか、
補足しなければならない事があるので、
こちらをご覧下さい。


◇雑誌名:明報周刊』
◇発売日:2012121日(第2254期)
◇内容:P114P119 『許冠文的喜劇人生()

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では先ず、前編(本文のみ)を訳してみたので、

ここに載せておきます。ご参考までに!
以下、訳文になります。


イカサマ・ニワトリ体操・つけ出っ歯!
マイケル・ホイのコメディ人生(上)

当世のお正月コメディ映画は、“脚本の無い即興劇”とのニュースがよく流れるが、
許冠文(マイケル)は、真剣な表情で“笑い”についてこう語る。

「笑いと言うのは、その場の行き当たりばったりでやるのではなく、
予めキチント計画されたものなんですよ。『半斤八両』のキッチンでのアクションは、
どのカットも、撮影する以前に既に絵コンテが出来上がっていました。
ソーセージを使ったヌンチャクさばきだって、私は丸々2ヶ月練習したんです。
そんな即興で、じゃあやってみるかと言って出来るわけがないでしょう?」

デビュー作『大軍閥』に始まり、大衆娯楽に関わって40年、その間、
今でこそ名作と呼ばれる数多くの作品への出演オファーはおろか、
海外進出のチャンスをも断ってきたと言うマイケル。
まだ微博(大陸版ツイッター)もなければ、フェイスブック・掲示板もない時代の中で、
勇敢にも、♪我地呢班打工仔(オレたち労働者は)♪
労働者たちに代わって声を上げたのも、“香港製造”のホイ兄弟であった。


「私は、一生コメディ映画だけを撮り続けたいんです。
人が泣いている姿を見たくないんです。泣きたい時は?
新聞をめくれば、どれも泣きたくなるような記事ばかりですよ!」


自分を売り込み人生一変
月給5千ドルには内心大喜び


  近年、大好きなスタンダップ・コメディに対しては疲れを知らないと言う許冠文。
二月の初めには、新たなステージ『男女戦争』が幕を開ける。

「以前の私は、観客と向き合う事をしなかった。
でも今は、ステージに立ち、
観客に向かってトークをすることで、
自分の感覚が客とズレていれば、すぐに分かるんです


今回のトークショーは、香港のボランティア団体「生命熱線(いのちのホットライン)」を
支援するための募金を募るチャリティー・トークショーだ。

「香港人が自殺する原因なんですけどね、その殆どがなんと、
話しを聞いてくれる相手がいないからなんです。科学が進歩するに従い、
人と人とのコミュニケーションは、全く無くなってしまいました。
以前の世の中はよかったですよぉ。例えば、私がダイアモンドヒルに住んでいた頃、
生活は貧しく、ろくにご飯も食べられなかったのですが、それでも兄弟4人、
二台の二段ベッドで眠り、何かあれば直接打ち明けたものです。
暇な時は谷川で体を洗い、ツイデに魚を掴み取りして、食べるもよし!」

  ちっぽけな部屋ではプライバシーなんてものは持てない。
家を養う親の苦労は、兄弟4人には一目瞭然だった。

「父は、湾仔にあるホテルで働いていました。ある時、一艘の航空母艦が香港に寄航し、
大勢の水兵たちが上陸した時は、3日連続泊り込みで働き、4日目になって帰宅すると、
ベッドに倒れ込むように眠っていましたねぇ」

貧しさから脱するため、父親は“洗脳”でもするようにマイケルにこう言い聞かせたと言う。

「とにかく勉強は絶対にせねばならん!勉強すれば考える力が身に付き、
金を儲けることができる。一旦成功したら、お前が弟や妹たちを守ってやりなさい・・・・」

  “長男なら責任を負わなければならない”、この思想はマイケルの頭の中に植え付けられ、
師範学校を卒業した彼は、待ちきれないと言わんばかりに教鞭を執るのだった。
しかし、大学進学への思いを未だ捨てきれないでいたマイケルは、
ある日その話を再度母に持ち掛けてみることに。すると母は次のように答えた。

「パパの稼ぎでは不十分だから、あなたの教師としての収入が支えなの。
家計に支障をきたさないという条件ならば、勉強を続けても構いませんよ」

マイケルは、ためらうことなく聖芳濟書院に退職の意を伝えた。
校長は、受け持つ授業時数を三分の二ほど減らすよう提案した。(勿論それは減給を指す)
またその他にも、塾や夜間学校で講師のバイトをするなどして、
それでなんとかやっと香港中文大学に進学する事ができたのだ。

「私は一日中授業をサボることになり、先生からは怠け者だと思われたでしょう。
でも実は、私はその間も寸暇を惜しんで働いていたんですよ」

  それでも如何せん、家の生活費は十分ではなかった。そんな時、
当時、無綫電視(地上波テレビ局)で『星報青年節目』の司会を務めていた

許冠傑(Sam)を訪ねたマイケルに、ある好奇心が芽生え始めることに・・・

「テレビの仕事って、何をするんだ?金は貰えるのか?」
「稼げるよ!それに他のバイトより割がいいんだよ!」
「じゃあ、俺にも仕事を紹介してもらえないだろうか?」

Samはすぐさま兄に代わり、社長 貝諾(Colin Bednall)との面接の場を設けた。

「この面接が、私の一生を変えたんですよ!」

面接で積極的に自分を売り込んだマイケル。
その日の事は、永遠に忘れる事のない思い出となる。

「私はこう言ったんですよ。“聞くところによると、司会者を募集しているそうですね。
私、トークには自信があります。何か仕事を頂けないでしょうか?”
社長から、私が何者なのかと聞かれたので、教師をしていますと答えたら、
彼はちょっと笑って・・・。恐らく、変なヤツがやって来たと思ったのでしょう!」

貝諾(ベドナル)は、マイケルに拳をマイクに見立てて何か喋ってみるようにと要求。
マイケルの話し振りを見た貝諾(ベドナル)はこう言った。

「今、中高生を対象にしたクイズ選手権をやりたいと考えているのだが、
君は教師をしていたと言ったね!興味はあるかね?
君に6ヶ月の時間を与えるから、レポートを書いて来たまえ!!」

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  このチャンスを逃してはなるものか!善は急げ!と思ったマイケル。
午後3時に帰宅するなり、猛スピードで彼がよく知る中学78校に問い合わせて
参加希望の有無を確認。また、タイピングをやらせたら驚くほど速いクラスの女子
(つまり奥様のこと)にも手伝って貰うと、明け方の5時には約60枚にも及ぶ報告書を完成させた。


「翌朝の8時、一足先に貝諾(ベドナル)のオフィスを訪れた私は、腰を下ろして
彼の到着を待った。
彼の秘書からは、なぜこんなに早く来たのかと聞かれましたね。
待つこと一時間半、
漸くベドナルが現れた。私が、レポートを提出しに来たと言うと
驚いていましたねぇ。
“もうできたのか?こんなに早く”って。」

彼はレポートを手に取ると、パラパラと目を通し少し考え込んでから部下に電話。
「『歡樂今宵』の放送作家のギャラはどれくらいだ?」
と聞いた後、マイケルにこう言った。


「キミを採用しよう。明日からこの番組の準備に取り掛かりたまえ。
出来るだけ早く公開するんだ。月給は5千元で足りるかな?」

彼は平静を装っていたが、内心は喜びに溢れていた。

「当時の私の給料は、正規教員でも一ヶ月675元でしたからね。しかも、
貝諾(ベドナル)はとても律儀な方で、給料は前日の分から計算に入れてくれたんです」

  
一ヵ月後、『校際問答比賽(学校対抗クイズ大会)』が開催された。
紳士的でまじめ顔のマイケルは皆から好感を持たれ、
『歡樂今宵(1967年スタートの香港の長寿番組)』の司会者の座を獲得することになる。


「彼ら(出演者)の演じる茶番劇を毎日のように見ていたら、腕がムズムズしてきましてね。
自分でコントを作ってみたら、これが好評だったんですよ!それからと言うもの、
3
つ、5つとコントを書くのが日課となり、それを梁醒波や杜平らに演じて貰うように」

王晶(バリー・ウォン)は、マイケル・ホイこそが“港gag(香港ギャグ)”のパイオニアだと称する。
そもそも、“香港ギャグ”とはどこから来たのか?


「香港ラサールスクールに通っていた時、
私は英語が割りと得意で、また、クラスメートが
裕福だったもので、
彼らの家にお邪魔しては海外の作品を鑑賞したりしてたんです。

その時に、短いジョークのようなもの、つまり『ギャグ』が流行っている事を知り、

当時の『広東語劇』は如何にテンポが遅いかと言う事に気付いたんですよ。
梁醒波や伊秋水がやる喜劇は二時間もあるのに、どうして笑い所は
その内三回しかないのだろう?って。そこで、ストーリーが占める割合を少なくして、
その代わりにギャグを絶えず盛り込むことにしたんです」

こうして、マイケル・ホイ作品の方程式、雛形が徐々に形成されていく。


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May姐有請 ゲスト: 許冠文B

2011.11.30 Wed

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May姐:
あなたは、監督としてだけでなく、脚本家、役者としても成功していますが、
当初は役者になる気はなかったのよね?本当は、“歌〜手”になりたかったそうじゃない?(笑)
許冠文:・・・。(笑)
May姐:アハハハ
曾華倩:もう少しで吹き出す所でしたよ!
May姐:“鶏”なんて吐き出さないでね!
曾華倩:いえいえ、それを言うなら“トリ逃した(走)”ですよ!
May姐:アハハハ
許冠文:『雙星報喜』では、私も歌を披露していたんですよ。
ただ、私の歌を一度聞いた監督は・・・
May姐:監督って、周梁淑怡のことよね!(笑)
許冠文:「ホイさん、歌は弟さんに任せましょう!あなたは笑いに専念して!」って。
May姐:アハハハ
許冠文:それ以来、私は二度と歌わない事にしたんです。
それが原因で、強いコンプレックスを抱くようになったんですよ。
大学時代、私はバンドを組んでいてボーカルを担当していたんですからね!
まさか監督から、あんな風に言われるとは・・・。
「明日から、弟さんに歌って貰いましょう!」ですよ!
「あなたは笑いに専念していればイイ!」・・これってどういう意味ですか!
May姐:なぜあんな事を言ったのか、彼女は私に話してくれた事がありますよ。
あなたは決して音痴なんかではないのよ。
先ずこれで少しは自信を取り戻し手くれたかしら?(笑)
許冠文:(笑)
May姐:問題は、あなたが歌う時の動作よ!
許冠文:・・・。
May姐:なんかねぇ、広東オペラの匂いがするんですって!
許冠文:・・・。
曾華倩:私は、彼女がそうしたのはアナタのタメだったのだと思いますよ。
だって、あなたはコメディアンに転身することで、元祖喜劇王になられたのですから。
許冠文:私は別にコメディアンになりたかったわけではありませんよ!
ただ女性から注目を浴びたかっただけです。「キャー」と言われたかったのです。
でも、今となっては違います・・・。

May姐:いつだったか、マイケルはミュージカルに出た事があるのよね?
許冠文:???
May姐:聴診器を身につけて、こんな風に、ここ(チェストピース)をマイク代わりにして
こんな風に歌っていた人がいたのよ。アハハハ
許冠文:(笑)・・・。
May姐:それがマイケルだったのよ!
当時、そんなに歌う事が好きだったとはねぇ・・・。
許冠文:ところで、どうしてそんなモノ(聴診器)持って来たんですか?
May姐:だって、アナタこうやって歌っていたじゃない!
許冠文:あぁ、あなたもあの場にいたんですか。
May姐:こうやって、聴診器持って歌っていたでしょう?
許冠文:ち〜がいますよぉ!記憶力悪いですねぇ。
May姐:違うの?
許冠文:あの時は、単にネタを考えていただけですよ。
カメラがまだスタンバイできていなかったので!それで私が医者の格好をしてですね。
May姐:OKOK!あぁ〜医者、そうね!なるほどね!
許冠文:あの時、スタッフはまだ照明の調整をしていたでしょうが!
だから暇つぶしに、こうやって(聴診器をマイク代わりにして)歌っていただけですよ。(笑)
May姐:アハハハハ!
許冠文:そんな私の前を通りがかった周梁淑怡監督)は、
「すごいわねぇ!それ(聴診器)をマイク代わりにする人なんて見た事ないわ〜」って。
でも、わざとじゃなかったんですよ。でも、面白いでしょう。 あーあー!もしもし?
May姐:あーあーもう笑い過ぎて涙が出ちゃったわ。
曾華倩:じゃあその時、聴診器持って女性の心臓の音でも聴こうとはしなかったのですか?
許冠文:それは無いですよ。(笑)

新しい料理の登場:
招牌叉燒(自慢のチャーシュー)

曾華倩:こんなに肉厚なのに、柔らかく美味しく作るのは難しいでしょうね。
May姐:ご存知の方も多いと思うけど、チャーシューを作る時はね、
“梅頭と言って、豚の背中から腰に掛けての部位(豚肩ロース)を使うのよ!
私で言うと、この部分になるの!
許冠文:そこには沢山肉がついていますからね(笑)
May姐:そうなの!アハハハ(笑)

レシピの紹介!
(省略)

May姐:う〜ん、やっぱりトロけるわねぇ。
曾華倩:こんなに分厚いチャーシューを、ちょっとだけ焦がすことで、
また香ばしくていいですね。
許冠文:こんなに柔らかいんだから、さては、あなた(May姐)のお肉でしょ!
May姐:アハハハ
許冠文:“梅頭(豚肩ロース)”と言うのは、きっと特別な部位なんでしょうね。
曾華倩:滑らかだわぁ。それに香りが格別ね。
チャーシューは脂がないと美味しくないですね。
マイケル、なんでずっと私の方を見ているのですか?
許冠文:あなた、何口食べたのですか?ずっと食べてばかり。
こんなに細いのに凄いですねぇ!ウソでしょう?


May姐:あなたのお父様は、生涯苦労なさいましたが、大物にはならないまま・・・
だからあなたは・・・
許冠文:映画を撮り始めたばかりの頃は、父の影響を受けていました。
例えば『半斤八兩』のように、父は生涯給料制でしたし、
家に帰ってくるといつも、ボスにイジメられたと言う話をしていました。
だから映画を撮る時、自然とその時の事が思い出されたんです。
父親をイジメていたボスの役を演じてみたりですね。今日に至るまで、
映画の中のシーン全てが、私の書いた物全てが本当の話なのです。

許冠文:いつの世代になっても、なぜだか分かりませんが・・・
皆、先代に反抗したくなるものです。例え今は両親だからとガマンしていても・・・
May姐:世代間のギャップってヤツね!
許冠文:私が初めて世界一周旅行から帰ってきた後の感想を
『鐵塔凌雲』と言う詩にした事があるのですが、私の父がそれを聞いた時・・・
May姐:あの歌、とってもステキよねぇ。
許冠文:思いっきりケチをつけたんですよ!
「わざと難しいような言葉を並べやがって、何が言いたいのかサッパリ分からん」と。
「何が“鐵塔は雲を凌ぐ”だ」、「何が“この景色”だ」って。
“遠いわが故郷の漁船の灯にどうして及ぶだろうか”と言う一節がありますが、
「なんで“彼邦(遠方にある国)”になるんだ」とかですね。
あれは、私はあの時ハワイにいたから、故郷の香港は自ずと“向こう岸の国”に
なるじゃないですか!それなのに私の父ったら、
「“彼”だと?それでは“対面と言う意味になるじゃないか!」って!(笑)
May姐:アハハハハ
許冠文:もうとにかく一言一句にケチをつけるんですよ。
でも、あの歌はその後大ヒットしましたからね。あの歌は単なる大衆的なヒット曲ではなくて、
本当にいい曲で、含蓄に富んでいると、皆さん言ってくれました。
May姐:そうね!あの部分は“香港”って書けば分かりやすかったんでしょうけど、
あなたが言うように、よく考えると、そこに深い意味があるものね。
許冠文:私の両親は二人とも歌ったり、楽器を奏でる事が好きな人でした。
そのくせ我々子供には、「将来歌手や、芸能人になるのだけは絶対にやめなさいよ」
って言うんです。当時芸能界の社会的な地位と言うのは、娼婦よりも低かったそうで。
May姐:その後、あなたたちは香港コロシアムでコンサートを開いたのよね。
お父様がバイオリンを演奏して下さり、あなたたちは、それはそれは感動した事でしょう。
だって、お父様はそれまで一度もあなたたちと同じ舞台に立った事がなかったのですから。
許冠文:父にとっては、一種の誇りだったようです。小さい頃から大きくなってもずっと、
父は我々の事をどこかバカにしている所がありましたから。
それが香港コロシアムに連れて来られた時、わが息子たちは大したものだなと思ったらしく、
息子たちと一緒に演奏している時は、心が温かくなったそうですよ。

許冠文:今の若い人たちは、自分のやりたい事をする勇気がないようですね。
親に言い難いと言うか。でも、周りが言う事を鵜呑みにする必要はないと思います。
特に、家族だからと言って必ずしも正しいとは限らない・・・。
曾華倩:“親だから正しいんだ”と言って子供の将来を決めるのはよくないですよね。
私は、子供も時には友達として話をする事も大切だと思うんです。あまり、かしこまらず。
許冠文:(笑顔)
May姐:その点マイケルは、娘さんに対して優しい所か、
娘さんの方が主導権を握っているのよね!
許冠文:彼女は、私にとって娘であり、ガールフレンドでもあるんです。
だから彼女が嫁に行く事になった時・・・
May姐:あなた怒ったそうね!覚えているわよ!相当落ち込んでいたわよね。
許冠文:この男性は、今私の彼女を奪おうをしているんだ・・・
と言うような気持ちだったんですよ。


May姐:最近、ヴェネチア(ウーディネ極東映画祭)で功労賞を頂いたんですってね!
曾華倩:こう言う賞を頂いた事で、深い感銘を受けましたか?
許冠文:何年も映画を撮っていませんが、香港映画は世界でもウケるんだと感じました。
広東語が分からなくても、皆字幕を見ながら・・・、それもイタリア人ですよ!
よい映画を撮りさえすれば、実はどんな国の方にも受け入れられるんだな、
と言う事を今回身に染みて感じましたね。
今年の年末か年が明けたら、再びメガホンを取るつもりです。
自作自演の作品ですので、楽しみにしていて下さい。
May姐:OK!じゃあ先ずはオメデトウね!
許冠文:ありがとう
May姐:その時は(映画が完成したら)、ご馳走してね!
許冠文:勿論ですよ!
May姐:私とマイケルは出会って数十年になるから、まだまだ話は尽きないんだけど・・・
今日はゲストとして来てくれて感謝するわ!
許冠文:ありがとう!

(日訳:管理人 Baakkei

May姐有請 ゲスト: 許冠文A

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May姐:スタンダップコメディの話しになるけど、皆、あなたがその場で考えて
喋っているのではないかって思っているらしいわよ!
でも実際は、99%が事前に練られたモノなのよね。
曾華倩:ネタのインスピレーションは、どこから来るのですか?
日常生活の中で、興味深い出来事などをメモしておくとか?
許冠文:イヤイヤイヤイヤ、感覚に任せているだけですよ。
例えば、大量のバナナを投げつけられたら、終には我慢できなくなって、
一度ぐらい相手に投げつけてやりたいと思うでしょう?
それなら、予め何本かバナナを用意しておかないといけないでしょうが!
単にそれだけの事ですよ。
May姐:アハハハ
曾華倩:アハハハ
許冠文:今度はオレの番だ。お前らどうなっても知らないぞ!
そして怒りを込めて「お前らマフィアなんぞ!」と言ってビヤ〜っと投げつけてやるんですよ!
May姐:アハハハ
曾華倩:アハハハ
許冠文:この瞬間、世界にセンセーションを巻き起こすのです!
May姐:アハハハ
曾華倩:アハハハ
許冠文:どうせ、“一発ぶちかまして”やりたいのですから!
それらは単に私の頭の中にふと閃いた奇想なんです。
「オマエはそうするんじゃないのか?そうだろう?」と言われると、
あなたは別の方法を思いつくかもしれない。
そして私は、この方法を思いついただけです。機会を待って仕返ししてやろうって。

曾華倩:先ほど、マイケルは女性に人気があったと言う話が出ましたが、
本当にそうだと思います。だって、あなたの話、とってもオモシロイんだもの!
許冠文:・・・。
曾華倩:とても魅力的だわ。・・・外見を除くとね・・・。
許冠文:・・・・・・。
May姐:外見・・ガハハハ!
曾華倩:アハハハ
許冠文:・・・。(笑)
May姐:才能があるからいいのよ!頭のイイ女性はね、彼の才能に惹かれるのよ!
曾華倩:いや、でも・・姉さんの言っているのはカッコよさと言うこと?
それを言うなら、サムの方がカッコイイわぁ!で、でもね、
マイケルには別の意味でイイ味が出ていて、魅力的だと思いますよ。
許冠文:私はその考えには全く反対です。
日本の女性が、サムを一目見た瞬間、
「サ〜ム」と大声で叫んだ、
あの時の表情、あの狂ったような表情は、
彼をセクシーだと感じ、彼に抱きつきたいと思ったからです。
しかし、私を見た時の表情ってのは、先程あなた達が言ったユーモア感と言いましょうか、
オモシロイと感じただけで、ただ「カワイイね!(日本語)」としか言わないんです。
これはまさに男としては辛い所ですね。
女性は、男性の肉体的なセクシーさにしか惹かれない。
だから我々がいくら知慮があった所で無駄なのです。女性はそこには惹かれないからです。

ここで話題は料理の話に戻り・・・
新しい料理のレシピ紹介
(省略)

May姐:(曾華倩に向かって)マイケルに皮の部分を差し上げて!皮が一番おいしいのよ。
曾華倩:彼は、皮が好きなの?
許冠文:男性は皆、腎臓を補わなければなりませんからね。
曾華倩:この皮、とても分厚いですね!
許冠文:わぁ〜!
May姐:この大ウナギはね、ベトナム産なのよ。この皮の下に脂がのっているのが最高なのよ!
この脂がなかったら香港産のには勝てないんだけど。
曾華倩:それって、この種のウナギは山渓で育つ事と関係があるんですよね?
May姐:そうよ!
曾華倩:山渓の水は非常に澄んでいて甘い。
ウナギはその土地で生活することで肥えるんですよね。
許冠文:だから脂がのってオイシイわけですね。うん、これは美味だ。
May姐:確かに柔らかいけど、身は引き締まっていてプリっとした食感が残っているでしょう。
曾華倩:ホント、イケるわね。味もよく染みていて。
許冠文:ウナギの頭って、なぜ特別高いんですかね?
May姐:貴重だからよ!あの長いウナギの身体に比べるとね。
それに、ウナギの頭は特に精力がつくのよ!
レストランではね、大ウナギを捌く前に、先に常連客に連絡するの!
頭だけ、尻尾だけと言う風に必要な人数分予約が入ってから捌くのよ。
(とにかく頭部の買い手さえ見つかれば元は取れるそうで、
逆に頭だけ売れ残ってしまった場合、食材を粗末にしたも同然なんだそうな)
香港のことわざに、“有人認頭と言うのがあるけど、ここから来ているそうよ。
曾華倩:マイケル兄さんは、皮が大好物なんですよね。
コラーゲンがたっぷりの部分を差し上げますよ。
許冠文:あぁ、もう十分頂きましたよ!
曾華倩:(マイケルが被りついた皮を指して)ほらほらコレ!
特にコラーゲンがたっぷり付いているの!本当は私が狙っていたんですよ!
でも、あなたは私のスーパーアイドルだから、お譲りしたんです。
許冠文:あなたも腎臓を補う必要があるんですか?それとも脾臓?(笑)
May姐:アハハ!
曾華倩:そうです!脾臓のためなんです!だから食べないと!(笑)
May姐:そうそう、あなたは“冬筍(孟宗竹のタケノコ)”が好きなのよね!
それからこれは、プチニンニクと言う名前のニンニクよ!
コリコリ、ホクホクしていて栗のような食感なのよ。にんにくの風味もよく出ているでしょう。
一般によく見られる一片一片分かれたニンニクと違って、これは食感がいいのよ。
これは、昔ながらの製法で作られた“柱侯醤(チューホージャン)”よ。
この種のニンニクは、煮込んでやると辛みもなく、臭みもないのよ!

だからマイケル、彼女に向かってクシャミしても大丈夫、試してみたら?

クシャミをするフリをするマイケル(笑)

May姐:アハハハハ!
曾華倩:マイケルは、料理はお好きですか?
許冠文:好きですよ、とっても!ただ、結婚して妻が家政婦を雇ってからは、
私の料理は食べてくれなくなりましたね。女性は気が変わるのがとても早い。
それまで私の作った料理をおいしいと言ってくれたのに、
ある晩、家政婦を雇ったその夜から、私の作ったチャーハンを食べなくなったんです。
なんですか、この急な変化は!それから妻は私にこう洩らしたんです。
実を言うと、私の作る料理はダメで、彼女はずっとガマンしていたと。
May姐:アハハハハ!
許冠文:女性ってのは皆こうなんですね。彼女には哲学的な考えがありまして、
彼女が思うに、「なぜ毎日自宅で食事をしなければならないのか。
外にはあんなに沢山のレストランがあって、オイシイ物があるのだから、
毎回、新しい料理を試したい」と。特にオイシイ物と言うのは・・・
May姐:じゃあ、旦那も新しいのを試してみたいとか?アハハハ!
許冠文:私も聞いてみた事ありますよ・・・
曾華倩:そんな事はないと思ってるんですか?アハハ
May姐:それはナイわよ!冗談よ!

ここでカメラは、見学に来ていた“許太(マイケルの奥様)”の姿を捕らえる!
(ニコニコ静かに笑っていらっしゃいます)

May姐:あなたの奥様は、そんな事は思っていないわよ!
だって最初、奥様の方がマイケルに惚れたのですから。惚れた女は一途なのよ!
許冠文:でも、女性は前と後で言う事が違い過ぎます。
さもそんな事なかったかのようにしてみたり。あともう一つ!私は魚が好きです。
だからだいたい8割は魚を食べるのですが、付き合っていた時、
毎回彼女と一緒に食事をすると、彼女は「魚を頼みましょう」と言うんです。
私は元々魚が好きなので気づかなかったのですが、
私は彼女も魚が好きなんだなと思ったんですよ。
でも結婚してからもう随分と経って、ここ数年前になってからですよ。
突如、「私、魚は全く食べないの!」って言い出したのです。
なんでも、魚の骨を見るのが恐いんですって。「はぁ?ウソだろう?」って思いましたよ。
女性と言うのは、40年だって平気でウソをつく事ができるんです。
May姐:そうねぇ!
許冠文:40年も騙されていた事に全く気づかないんですよ。
曾華倩:それだけ奥様はあなたの事を愛しているって事じゃないですか?
あなたが魚が好きなのを知っているから。
こう言うウソをついたのは、あなたの考え方を邪魔したくないからですよ。
魚の嫌いな女性となんて一緒に食事したくないと思われるのが恐くて。
許冠文:女性は、すごいですね!相手の特性が分かると、
すぐに機転を利かすことができるのですから。
ウソをつく能力は、男性の何十倍も長けていると思いますよ。
May姐:アハハハ!
曾華倩:見て下さいよ!奥様の顔が強張っていますよ。それでもまだ言えますか?
May姐:アハハハ!
許冠文:でもそれは彼女に限った事ではなく、女性が皆そうなんですから。
結婚前、私はお義母様に会うために妻の実家を訪れたのですが、
お義母様は、私の事をとっても親孝行な子だと言って下さいました。
将来、こんな息子ができたらいいわねぇ、と。
それで結婚後も、お義母様と一緒に食事するようにしていたのですが、
「週の半分も義母と食事してどうするのよ!」って言われたんですよ。
May姐:アハハハ!


May姐:このお料理はね、オーストラリア産の大粒のアワビを
黒トリュフのソースを使って炒めた一品よ。
許冠文:わ〜
May姐:ヨーロッパ産のもあれば、オーストラリア産だってあるのよ!

レシピの紹介:
(省略)

曾華倩:オーストラリア産のアワビは、他のと比べてどうかしら?
許冠文:とってもオイシイですねぇ!
May姐:より新鮮なのよね!こんなに大きいのに硬くないし。
アワビの中には、特に大きいものになると、切り方が悪いだけで硬くなってしまうの。
曾華倩:見てこの肉厚!まるでお肉のステーキね。私の瞳よりも遥かに大きいわ〜!
May姐:そうね!
許冠文:20数年前、私はオーストラリアのビーチで、よくスキューバダイビングをしたり、
釣りをしていた事がありまして、この種のはまだいいですが、もっと小さいモノになると
オーストラリア人は誰も食べたがらないんですよ。
「キミはなんでそんなモノを食べたがるんだ」って言われたものです。
ところが、10年後、私がそのビーチを訪れると・・・
May姐:見当たらないってわけね!
許冠文:そうです、どこにも見当たらないんです。それで行きつけのカフェに向かい
「数年前にあったアレはどうしたんですか?」と聞いたら、
「あぁ、あれの事ですねぇ?」と店の主人も何の事か分かったらしく、
「今では全て厨房に隠してあるんですよ!」と言うんです。
それで欲しいのならと値段を提示されたのですが物凄く高いんです。
「なんでそんなに高いんだ?」って聞いたら、
「知ってますよ〜!アナタたちのお国では、とても高価なモノなんでしょう?」て。(笑)
迂闊でしたねぇ。香港人が全世界の人に珍味を教えてしまったがために、
今ではもう手に入らなくなってしまったんですから。

次へ⇒B

May姐有請 ゲスト: 許冠文@

May姐有請 
3回:非凡魚料理
第一部ゲスト:薛家燕(ナンシー・シット)
第二部ゲスト:許冠文(マイケル・ホイ)
収録日:20111017
放送日:20111120

著名TVプロデューサーで料理上手としても知られる
May姐”こと、馮美基さんの新番組
May姐有請』
許冠文先生がご出演されました!

動画はこちら⇒クリック

※『May姐有請』は、二部構成になっており、
許冠文先生が登場するのは、後半の第二部からです!

途中、料理のレシピ紹介などは省略しましたが、
許冠文先生とのトーク内容だけ
日本語に訳してみました。


May姐:今日のゲストはね、見ると思わず笑い出してしまうのよ
曾華倩:May姐すごいわぁ!私のスーパーアイドルをゲストに招いちゃうなんて!
でも、彼と一緒に食事して、ご飯粒を吹き出さないか心配だわ。
May姐:そんな失礼な事しちゃダメよ!いいわね!
曾華倩:はい
May姐:この方ほどエライ方はいないんだから!
なんたって彼は、“俺はエライ(by雙星報喜)”で有名な・・・

ここでカメラは許冠文を捕らえる!
“上海蟹”を見つめて聞こえないフリなんかしちゃったりして、
小芝居も忘れないマイケル♪(笑)

May姐:許冠文(マイケル・ホイ)!
曾華倩:ハロ〜!
許冠文:準備できました?もう食べられるんですか?
May姐:アハハハハ!
曾華倩:マイケル、こんにちは!
May姐:こんにちはマイケル、よく来てくれたわね。
許冠文:あのカニ、よく肥えていて美味しそうですね!
May姐:そうでしょ〜!
曾華倩:May姐の情報によると、マイケルはお魚がお好きだそうで、
今回特別ゲストとしてあなたをお招きしたんです!
許冠文:三刀魚なんてあります?
May姐:も〜ちろんありますとも!あら、偶然ねぇ!
許冠文:高いヤツ?
May姐:そうそう!
許冠文:身体に横縞模様が入ったヤツ?
May姐:そうよ!お魚の準備は出来ていますから、
早く席に着きましょう!早く早く!

May姐:まずスープからどうぞ!これは“勲爵士スープ”と言います。
ケ肇堅勲爵士(香港の企業家)が自ら材料を持ち込んで作らせたのが
キッカケで生まれたスープなんだそうです。
新鮮で甘みがあって、滋養強壮に効くのよ!

レシピの紹介:
(省略)

許冠文:May姐は、私にご馳走してくれる度にいっつも言うんですよ
「この種類の“花膠(魚の浮き袋)”はとっても高いのよ!」って
May姐:そうそう!アハハハ
許冠文:まさか、精力がつくとはね・・・
曾華倩:アハハハ
May姐:だって、何食べてもダメだって言ってたわよね?
許冠文:そうですよ!だからもっと精力がつく食べ物でないと!
May姐:アハハハ
許冠文:ただ問題は、今となっては精力をつけたってダメだって事ですよ!
May姐:アハハハ
曾華倩:May姐とマイケルは、知り合ってもう長いんですよね?
May姐:当時、『Star Show』と言う若者向けの番組があって、
私は周梁淑怡(セリナ)と一緒にアシスタントプロデューサーをしていたの。
その時、マイケルが現場に見学に来たのよね!
あっ!そしたら彼、番組に出ることになっちゃって!
許冠文:私はサムの様子を見に来たフリをして・・・
May姐:教えてあげるわ!あの時女性は皆マイケルの事を狙ってたのよ!
曾華倩:アハハハ
許冠文:いやいや、あの時は私も女の子目当てでしたよ!
そしたらあなたと、周梁淑怡がいて、あと何人かの女性がいましたが、
名前は公開しない方がいいですね。
May姐:アハハハ
許冠文:いやぁね、当時は皆19歳で、キレイで仕事がデキル人ばかりだったんですよ。
サムの相手している暇なんてあるわけナイじゃないですか。
サムに会いに来たフリして、こっそり抜け出したりして・・・
実は美女が見たかったんですよ。

Star Show(星報青年節目):
1967年から始まり週に5回放送されていた。
当時、若者に最も人気のあった音楽番組だそうな。
出演ゲスト:許冠傑、許冠文、泰迪羅賓、蓮花楽隊など


May姐:あー来たわよ!あなたの大好物が!
許冠文:三刀は、冷めてしまったら・・・
May姐:そうね!そうね!あなたの表情を見てると必死なのが伝わってくるわ!
許冠文:三刀は、私の大好きな魚です。なぜなら、三刀は養殖が難しく大変貴重な魚だからです。
天然物になると、今は恐ろしい値がつく程ですからね!
あなたが魚を捌こうとすれば、“彼”だって「僕を食べないで、とても高いんだから」って言いますよ。
死んでも死にきれない、“彼”はこんなになってもまだ「俺は死んじゃいない」って言うハズです
May姐:アハハハ
曾華倩:アハハハ
許冠文:だって、本当に高いんですよ!二千香港ドルですよ!最も高価な魚ですよ
May姐:見て、“彼”の目の新鮮なこと
許冠文:蒸し具合がミディアムウェルダンぐらいになった時、蓋を開けると、血が滲むぐらいの。
あ〜まさにこの状態で食べると・・・ん〜なんて滑らかなんでしょう(ニンマリ)
May姐:アハハハ
許冠文:この魚の風味がね、口当たりといいますか、何度食べても まろやかなんです。
曾華倩:この身、とっても上質ですね
May姐:この魚、脂がよく乗っていて、また尻尾の部分は身が薄くなっているの。
だから蒸す時にコツがいるのよ。腹部をアルミ箔で覆い、魚の背に程よく火が通るようにして、
でも尻尾と腹の部分は、火が通り過ぎないようにしなければならない。
許冠文:三刀魚を扱うレストランは頭がいいですよね!
最近は本当に希少ですが、もし魚が手に入れば、毎回同じような重さの魚を選ぶ。
例えば600グラムだとしたら、それと同じ大きさのものしか買わない。
それだったら、蒸した時の状態が、ミディアムだとうと、ミディアムウェルダンだろうと、
もっと微妙な焼き加減だろうと均一に保てますからね。
でも、リスクもありますね!なぜなら砂皮かもしれないからです!
以前、腕の良い漁師に尋ねた事があるんです。
三刀が釣れた時に、それが砂皮かどうか見分ける方法はないのかと。
でもそれは運次第だから、彼らにも分からないと。
最も腕の良い釣り名人ですら、未だに見分けがつかないそうです。
でも砂皮には、別の楽しみ方があって、本当においしいんですよ。
大きくて、とっても弾力が強いのですが、引き裂くことはできます。
皮の部分だけを全て引き剥がし、それを包丁で適度な大きさに切って食べるのですが、
ショキショキとして歯ごたえがいいんですよ。
曾華倩:マイケル、ところで砂皮って何ですか?
先ほどからずっと“砂皮”って仰っていますが、それはいったいどのような・・・?
許冠文: “砂皮”ですか?
May姐:蛇の皮に似ているのよ!でも、もう少し厚みがあるの
許冠文:人に例えるならですね、“人は見かけによらぬってよく言うでしょう?
曾華倩:アハハハハ
許冠文:私の外観は三刀ですが、実は中身は砂皮なんです、みたいな事ですよ。
包丁でも突き刺さらないんですよ。
曾華倩:あ、知っています!三刀魚の別名は、“斬三刀とも言うんですよね!
魚の身には、白黒の模様があって・・
May姐:名前はとっても横暴な感じだけど、 彼は魚の王様で、貴重なのよね

※『三刀』は香港の俗称で、日本語名は、タカノハダイ。
(ただ、砂皮の正体が分からず終い。三刀に良く似た別の魚なのか、
三刀の中にもアタリハズレがあるみたいに、特に皮が蛇皮のように硬いものが
存在するのか・・・。)

次へ⇒A 

星級會客室 ゲスト: 許冠文、陳欣健 (追記)

2011.11.18 Fri

『星級會客室』に出演した時のインタビュー内容に関しては、
東周刊に転載された内容をもとに、
前編後編に分けて紹介しましたが、それとは別に、
ニュースでも幾つか貴重なエピソードが取り上げられていたので、
ここに“追記”しておきます。

※動画 ⇒
TV

※以下、日本語訳になります。


妻が墓場で“うらめしや〜”

【明報專訊】

有線娯楽新聞台のインタビュー番組

『星級會客室』に出演した許冠文は、番組の中で

奥様と交際中の忘れ難いエピソードを語った。


それは、あるクリスマスに、墓場で起きた

“笑撃”のエピソードである!


許冠文:
「クリスマスパーティーに参加した帰りの事でした。
私は彼女を家まで送ってあげたのですが、深夜12時を過ぎていたので
彼女はお父様からひどく叱られましてね、家に入れて貰えないほど。
それで私が暫く彼女に付き添って慰めたんです。
気づいたら、我々二人は知らぬ間に墓場に来ていました。
するとその時、突然一陣の風が吹いたのです。
風は、妻の白いスカートに当たり、また彼女の頭を掠め髪がなびきました。
その時、ちょうどその近くをタクシーが通りがかったのですが、
その運転手がビックリして叫んだんですよ!
恐らく、“幽霊だ!”と思ったんでしょうね。(笑)」

 クイズ大会の司会で大失態!

CABLE V 樂新聞】
当時、『校際常識問答比賽(学校対抗常識クイズ大会)』の
初代司会を務めて有名になった許冠文だが、
実は、大失態が原因だったと言う!

許冠文:当時、あるクイズ番組の司会をした事で、
私は注目される事になったのですが、実はそれは、
「ミミズの生殖器官(雄性孔)は、第何体節にあるでしょう?」
と言う問題の答えを私が間違えたのが始まりでした!
ある学生は、「第16体節!」と答え、
また別の学生は、「第17体節!」と答えると、
私は「不正解!」とだけ告げ、即座に次の問題を読み上げたのです。
しかし、それが大問題だったのです!
クイズ大会終了後、ある校長が私にこう言ったのです。
「許さん、あの学生の答えは正しいよ!
あの問題の答えは“第17体節”であっているんだよ!」と。
・・・ありゃ〜ですよ。
香港全国の学校から怒鳴られましたからね。

陳欣健:ひゃ〜ッ(笑)

許冠文:「オマエは何をやってるんだー!」って。
でも、大会をやり直すわけにはいかず・・・。しかも、その事を
香港中の芸能紙がトップで取り上げたんですよ!

周美鳳:それだけ番組の視聴率がヨカッタって・・・

許冠文:見出しに何て書かかれてあったか知ってますか?

“許冠文の生殖器に問題発生!!”(笑)


周美鳳陳欣健:アハハハハ〜(大爆笑)

(日訳:管理人 Baakkei)

星級會客室 ゲスト: 許冠文、陳欣健 (後編)

2011.11.16 Wed

◆星級會客室 (Star Chatroom 2011)
【後編】2011年11月12日(土)放送
※収録日は、1010

m.hui20120111-1.jpg
東周刊 vol.429 発売日2011.11.16

※前編は⇒こちら

以下、日本語訳になります。



お互いの逸話を語り合う

周:お二人は、相手の欠点をご存知ですか?

陳:許冠文は、そそっかしい所があります!ある時、私が“西環”で撮影をしていると、
監督が許冠文にも見てもらおうと言い出したんです。
それで彼は、コーズウェイベイ(銅鑼湾)から車で来てくれる事になったのですが、
コーズウェイベイから私のいる西環までの道は、自家用車は通れないんですよ。

何時間待っても彼の姿が見えないし、電話しても誰も出ないし、

何かあったんじゃないかと私は心配になりました。

後で分かった事なのですが、あの道はバス以外通行禁止になっているのに、

案の定、彼は自家用車で入ってしまったんです。

それに気づいた通行人が「迂回しなきゃダメですよ!」と指示を出してくれたのですが、

彼ったら、許冠文に気づいた一般人が、スターに向かって挨拶で手を振っていると思い、
まるでイギリス女王のように華麗に手を振り返したそうです!

結果、警官に見つかって署まで連行されてしまい、数時間後、漸く釈放されたとか・・・。


許:陳欣健に纏わる笑い話と言ったら、それは彼自身も気づいていない事ですね。
私は、いつも一つの事しか考えられないので、一つの事に全神経を集中させるんです。
それが例え一時間であろうと、五分であろうとも、その時はその事しか考えない。
しかし、彼の脳ミソの中は、どんな時も常に10件、或いはそれ以上の事を
同時に考えているんです。一分刻みでもそんな調子なんですよ。
だから彼と話をしようと思うと、数分刻みで彼の所に電話が掛かってくるんです。
彼の方から連絡する事もあります。おかげで、彼とはなかなかユックリと
話をする事ができないんです。これが彼の悪い習慣ですかね。


兄弟愛

周:マイケル!あなたと共演した回数が一番多い役者は?

許:
許冠傑と許冠英です!

周:許冠英は、大きな子供ような方ですね!

陳:
彼の性格は子供っぽいですからね。
だから彼はとても幸せだろうと私は思いますよ。


周:
今でもそうなんですか?


許:
許冠英は、いつまで経っても成長しない子供です。
どんな事が起きても、ご機嫌取ってなだめてやりさえすれば元気になるんですから。
我々の場合は、そう簡単にはいかないでしょう!でも彼の場合は本当に簡単で、
二言三言慰めの言葉を掛けてやれば効果があるんですよ。
例えば、「オマエは一番いい子だ!」と言ってやるだけでイイんです。(笑)
彼は一番楽天的だから、幸せなヤツだと思いますよ。

周:
でも、彼は未だに独身ですよ!

許:
・・・・・・。

陳:
彼に結婚する気がないのでしょう!

許:
彼に合う相手を見つけるのは難しいと思います!
彼は利口なヤツですからね。賢すぎるんですよ!(笑)

動画 ⇒
TV


女性スターについて暴露

許冠文は長年映画を撮ってきて、女性スターとの共演も数多いが、

実は彼には、映画撮影において一つの鉄則があると言う。


陳:相手が大スターであろうが、主役であろうが、
許冠文は、
鉄則を破った者には厳しく叱りますね。
その鉄則と言うのは、
彼は遅刻されるのが嫌いなんです。
アニタ・ムイ(梅艶芳)なんて、
『神探朱古力(新Mr.BOO!香港チョコチップ)』
の撮影一日目、
つまり初日から許冠文に怒鳴られましたからね。
その時隣にいた私も、ものすごく恐かったですよ。
頼むからそんなに怒鳴らないでくれよって心の中では思ったんです。
彼女が辞退するんじゃないかって心配したんです。
でも実は、説教をしていただけだったんですけどね。
ただ、許冠文が説教する時と言うのは、物凄く恐ろしいんですよ。
まるで、ヒットラーみたいで!

許:私はいつも言っているのですが、
“遅刻をすると言う事は、単に時間が遅れると言う事ではなくて、
その行為そのものが、相手に対する尊敬の度合いを表しているんだぞ!”って。

陳:許冠文が阿梅(アムイ)に問題を指摘した後、
阿梅は、快く改善してくれたからよいのですが、殆どの人は、アムイに対しては放任的です。
勿論、アムイに対してだけではありません。だからそう言うスターは一向に改善しません。
映画撮影と言うのは、遅刻は絶対に許されません。制作費がバカにならないからです。
投資してくれる額が大きいわけですから、撮影の際には、十数人、いや、
何百人と言う人がスタンバイしています。その間、一時間単位でお金が支払われるので、
膨大な制作費が掛かっているのです。だからこそ、遅刻なんて絶対に許されないのです。


周:あなたが思う一番素晴らしい女優さんは誰ですか?

許:鍾楚紅(チェリー・チェン)です。彼女の演技は素晴らしい。
こちらが指導しなくても、相手に合わせてくれるんです。
また、彼女は
相手の演技の雰囲気に合わせて、自分の演じ方を変えてくれるんです。
それでこそ、インタラクティブな演技ができるし、新しい発見もあるからって。
アニタ・ムイ(梅艶芳)はもっとスゴイですよ!
あなたが求めている感じを彼女に伝えさえすれば、
彼女はどんな役だって演じきる事ができるのですからね。
彼女と『神探朱古力(新Mr.BOO!香港チョコチップ)』で共演した時、
「なぜ自分がこの役に選ばれたのかが分からない」と言っていました。
彼女は、私が文芸的(マジメ)な役を与えると思っていたみたいで。
それが蓋を開けてみたら、“ミス香港”を目指すおバカな女性の役だったので、
自分にはふさわしくないと思ったみたいです。
それでも彼女は、私にそのような才能があるかどうかは分からないけど、
やってみるわと言ってくれました。実際、彼女の演技は実に生き生きしていて、
結果、彼女はミゴトにやり遂げてくれましたからね。

陳:未だに覚えていますよ!劇中、婦人警官である彼女が、
ミス香港に選ばれた時のイメージトレーニングをすると言うシーンがあったのですが、
彼女はそのために受賞した時の様子を何度も練習していたんです。
大したものだと思いましたね。

(日訳:管理人 Baakkei

星級會客室 ゲスト: 許冠文、陳欣健 (前編)

2011.11.09 Wed

以前、こちら こちらでも予告しましたが、
周美鳳がホストを務める香港有線電視の番組
『星級會客室 (Star Chatroom 2011)』に、
許冠文と、陳欣健のお二人が出演されました!

◆星級會客室 (Star Chatroom 2011)
【前編】2011年11月05日(土)放送
※収録日は、1010

動画は視聴できませんが、
その時のインタビューの内容が
『東周刊』に転載されたと言うことで、
なんとか入手しました!

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東周刊 vol.428 発売日2011.11.09


以下、日本語訳になります。



同窓生

陳欣健(フィリップ・チェン)は、ベテランの映画脚本家であり、
プロダクション・マネジャー、そして俳優であると同時に、経営者でもある。
また、芸能界に入る前は警察官をしており、警視まで上り詰めたと言う。
一方、許冠文は、“冷面笑匠(笑わない喜劇王)”と呼ばれ、
脚本、監督、俳優と全てを一人でこなし、彼が関わった映画の多くは、
当時香港の興行記録を塗り替えたのである。

周:お二人が仲の良いお友達だと言うことは知っていましたが、
まさかお二人ともラサールスクールのご出身で、
ブルース・リーやジェームズ・ウォン(霑)とも同窓生に当たるとは!

陳:私と許冠文は、良き友人であり、先輩後輩の仲でした。
それからブルース・リー、そしてジェームズ・ウォンもそうです。

許:私とジェームズ・ウォンが同級生になります。
その当時、ブルース・リーは最もケンカが強く、陳欣健は学校一歌が上手くて、
ジェームズ・ウォンは、皆のリーダー的存在でした。
私は、ブルース・リーにケンカを習い、陳欣健から歌を教えて貰いました。
ジェームズ・ウォンから教わった事はあまりなかったなぁ・・・。
私はいつも学校をサボっていたので。


一夜にして成功をおさめる

許冠文は、大学在学中から既に芸能界デビューしていたが、
一方、陳欣健はと言うと、11年間警察官として勤めた後、
思い切って高給と身分保障のある職を捨てて芸能界に転向した。

周:芸能界に入ろうと思った最初のキカッケは何だったのですか?

許:私の両親は広東語オペラをやっていました。ですから、
我々兄弟が芸能界の道に進む事には反対でした。
歌手や役者は、人より一段劣っている職業だと彼らは思っていたようで。
だから本当は、大学を卒業したら普通の仕事に就くつもりでした。
ただ、家が貧しい上に、また私は長男でしたので、大学一、二年の時は、
夜間学校で講師をしながらなんとか学費を払っていました。
ところが、三年になると、それでもお金が足りなくて・・・。その時、
許冠傑がTVB(無綫電視)の音楽番組に出ていたので彼に頼んでみた所、
当時オーストラリアから来ていた外国人の社長を紹介されたのですが、
「学校対抗常識クイズ大会(※1)をやりたいんだが、できるか?」
と私に聞いてきたんです。それで私は、当時クラスメートだった“妻”にも
助手として手伝って貰い、一晩徹夜した甲斐もあって、
翌朝の9時過ぎには80ページ以上にも及ぶ企画書を書き上げたのです。
社長は大変満足してくれまして、そこでスグサマ準備が始まると、
早速給料も支給されることになったんですよ。
社長は、「月、1,500香港ドルでいいか?」と言うので、
私は、とりあえずOKすることにしました!
実はその当時、師範学校を卒業した教師の月給が650香港ドルでしたからね。

1・・・許冠文は1968年、『校際常識問答比賽』の一代目司会を務める

こうして、許冠文は、TV番組の司会を務めることになり、その後、
『雙星報喜(コント番組)』、映画出演などを経て人気者となると、
続いて結婚、二人の子供にも恵まれ、こんな調子で今日に至るのである。


芸能界へ転身

周:それに比べて陳欣健は、だいぶ遅れて芸能界に入った事になるけれど、
まさか、許冠文と関係があるのかしら?

陳:実を言うと、私は昔から音楽に興味があり、バンドを組むのが好きでした。
これはあまり知られていない話なんですけどね、
当時私がバンドを組んでステージに立っていた時、
方逸華(モナ・フォン)さんも同じステージで歌う歌手だったんですよ。
ただ、私の家は経済的に恵まれておらず、四人の弟妹もいましたし。
その上、大学入学資格試験に失敗し、本当は“上訴(※2)”するつもりでしたが、
“上訴”するには、200香港ドル以上は掛かるので、お金のない私には出来ず。
そこで、警察学校の試験を受けて警部補としてスタートすると、
気づいたらそのまま10数年勤務する事に・・・。
その後、機会があって、蕭芳芳(ジョセフィーン・シャオ)に頼まれて
麻薬密売をテーマにした映画に協力したのが、映画との最初の出会いです。

2・・・試験の結果に不満がある場合、間違いがないか、
再審査を申し出る事ができるらしい。

許:陳欣健はその頃、わが家にご飯を食べに来ては、
芸能界に転身する事についてどう思うかって相談に来た事がありました。
私は、「キミは、もっと早くに転身すべきだったよ!」って言ってやりましたよ。
すると彼は、「もし失敗したらどうしよう?」って聞いてきたので、
「その時はオレが一生面倒みてやる!」って私は言ったんです。
でもまさか、本当に転身するとは驚きでしたね・・・ハハハ!(笑)

陳:最初の頃は、実は4ヶ月ほど休暇を頂き、映画作りの勉強をしていました。
そして私が初めて(脚本を)手がけた作品は、『跳灰』です。
結果、この作品が大成功を収めると、社長がこう聞いてきたんです。
「キミは、警察官をしていた時、月給いくら貰っていたんだね?」と。
12千」と私が答えると、「では、24千でどうだ?いつから来てくれる?」
こうして、正式にこの世界に入る事になったんですよ!

(日訳:管理人
Baakkei

後篇へ

鬼馬依舊 許冠文 (後編)

2011.08.24 Wed

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前編は⇒こちら



保守VS革新

『摩登保鏢(新
Mr.Boo!アヒルの警備保障)』を撮り終えた許冠文は、
既にそれを越える作品を探し求めるため、許冠傑に相談を持ちかけることに。

「我々のマシンガンのようなギャグは充分やり過ぎた。
もう新鮮味がなくなってしまったと思うのだが・・・」

しかしながら、更なる飛躍を求めると言う事は、リスクが伴う事でもある。
二人一緒にチャレンジすれば、当然リスクも倍になる。
そんな時、ちょうど『新藝城(シネマ・シティ)』から許冠傑に、
映画『最佳拍(悪漢探偵)』の出演依頼が来る。

「当時、私の映画における許冠傑と言えば、
いつも脇役で、どこか抜けた三枚目の役柄が殆どでした。
そんな彼の所に、正式に主役のオファーが来たのです。
また、映画の中では“二枚目”を演じる事ができるのです。
それは彼にとって、飛躍できる絶好のチャンスだと私は思ったんです。
それで、彼にチャレンジしてみるようにとプッシュしたんですよ。
一方、私は私で新しいスタイルを模索してみるつもりでした。
その時は、まぁ三年ほどあれば答えを見出せる計画だったのですが、
まさか後になってから、その難しさに気づかされるとは・・・。
そして今日に至っても、その答えを未だ見つけられないでいるわけです。

後に許冠文は、女優との共演を果たす事になるのだが、
そうなると、どうしてもラブストーリー路線に転向してしまいガチになる。
ましてや、一人のコメディアンが映画の中で“愛”を表現するのは容易な事ではない。
まさにチャウ・シンチーがそうであったように!
彼が映画の中で“愛”を語っても、観客はどうもしっくり来ないのだ。
許冠文も例外ではなく、彼が挑戦したラブストーリー路線の作品は、
どれも皆、成功とは言い難い結果に終わっている。
それ故、『鶏同鴨講(ホンコン・フライド・ムービー)』では、
引き続き彼の“思想”を映画に反映する事にしたのである。

「当時私は、アメリカンフードがアジアを侵略し始める光景を目の当たりにしました。
銅鑼湾(コーズウェイベイ)では、私が好きな“燒鵝P粉”、“魚蛋粉麺”など全ての店が
次々にアメリカ式ファーストフード店に取って代わられたのです。
理由なんてないのですが、欧米の食品がどうして我々の口に合うだろうかと思うんですよ。
また、ちょうどその時、私がよく通っていた“粉麺店”も経営が苦しくなり、
後にマクドナルドに取って代われました。
そうした影響を受けた店たちは、実に悲惨だなぁと思いましたねぇ。
そこで私は、映画を通して、中国の食品がどのように西洋の侵略に対抗していくかを
表現してみようとしたんですよ。」

映画のラストでは、主役の『老許』が彼の店である“燒鵝P粉”を
新たにリニューアルさせる展開になっている。

「実は、いい結末がずっと思いつかなかったんですよ。
でも、最後に漸く気づいた事は、西洋の店に対抗するには、
“燒鵝”と言う中身で勝負するよりも、見た目をどうプロデュースするかが大事なんだと。
だからラストでは、衛生問題をクリアさせ、店の外観も美しく変貌させる事にしました。
それによって、ある程度は、『大家樂』や『美心』のようなファーストフード店への道を
啓発する事にもなり兼ねないのですが、勿論、私はその考えには反対です。
どんな場合においても、独自のスタイルは残していくべきだと私は思うので。

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↑『鶏同鴨講(1988)』より

今でこそ合作映画が盛んに作られるようになったものの、
許冠文は、97年よりも前から頻繁に大陸へ赴くようになり、
また自ら“大陸人”の役を演じた事もある。
『丐世英雄(1992)』がそうである。

「『丐世英雄(Heros of the Beggars)』の脚本・監督は私ではありませんが、
ストーリーには私の意見が取り入れられているんですよ。
田舎から都会へ出て来ると言うストーリーは、私のアイディアです。
その時から私は、大陸に関心を持ち始めるようになりました。
大陸は、将来最も大きなマーケットになるわけですからね。
ただ、その頃の私は考えもしなかった・・・。この手の題材(大陸ネタ)は、
観客には受け入れ難いものがある、と言うことを。
当時の一般人は、まだ大陸について理解がなかったのです。
つまり、見ても笑い所が分からなかったわけです。
さすがに今となっては、香港の観客もどこで笑うべきなのかは知っています。
ところが今は、そういう大陸ネタをジョークにした映画を撮る事はできないんですよ。
大陸で上映して貰えなくなるので・・・。ここが難点なんですねぇ!
大陸のマーケットを諦めたくないのなら、香港映画は大陸に譲歩しなければならない。
結果、どっちつかずな作品になってしまう。
例えば、映画の中で説教めいた事を言うと、
香港の観客は皆、“うそ臭い”と感じてしまうでしょう。」

許冠文は完璧主義者である。気に入った脚本ができなければ絶対に撮らない。
80年代後半、自らメガホンを撮った作品がないのはそのためである。
「せめて役者として出演だけでもしたらどうだ。他人と共演する事で
また新しいインスピレーションが沸くかもしれないぞ」と言う周囲からの勧めもあり、
嘗ては、『智勇三寶(帰ってきたMr.Boo!ニッポン勇み足)』などの作品に
純粋に役者として出演していた時期もある。
しかし、彼にとってそれでは成功した事にならないのだと言う。

「純粋に役者としての自分を評価した場合、初主演を務めた『大軍閥』を除いては、
正直、どの作品も成功したとは思っていません。」

『大軍閥』の中で許冠文は、“いやらしくワルい奴”を演じていた。
そのせいだろうか、実はその後、麥當雄(ジョニー・マック)から許冠文の所に、
映画『跛豪(1991)』への主演オファーが来ていたらしいのだが、
彼はそれを断ってしまう。

「あの頃の私は、コメディアンと言うイメージを壊したくなかったんです。
特に、麥當雄(ジョニー・マック)の映画は、“行き過ぎ”な所がありますからね。
当時の私は、『合家歡(ミスター・ココナッツ)』のような
楽しく愉快な映画を撮りたかったんです。」


許冠文VS周星馳

90年代初めになると、周星馳(チャウ・シンチー)による“無厘頭(ナンセンス・コメディ)”
と言うスタイルが確立されていく。1990年の『賭聖(ゴッド・ギャンブラー賭聖外伝)』は、
興行収入4,100万香港ドルを稼ぎ、その年の一位に輝いた。一方、同じ年に上映された
ホイ兄弟作品『新半斤八両(フロント・ページ)』は、2,600万香港ドルで第三位の成績に終わる。
周りから比べられるのは仕方のない事だが、
許冠文本人は、周星馳の事を自身を脅かす存在だとは思っていないようだ。

「私は、長年コメディ映画を撮って来ましたが、
その間にも新しいコメディアンが何人も出現しました。
周星馳の場合は、特別に成功しただけのことです。」

マイケルとシンチーは、チャリティー映画『豪門夜宴(1991)』の中で、
貴重なトークバトルを見せてくれたが、二人の正式な共演作はまだ一つもない。

「私は、スターと共演したいとかは思いません。
私が重要視しているのは良い“概念”であって、それを実現させることです。
後は誰が演じようと別に重要ではありません。
『タイタニック』がいい例ですよ。一番肝心なのは、ストーリーが優れていること。
ディカプリオに演じさせるかどうかはそれほど重要ではないのです。
タイタニックの撮影二日目、ジェームズ・キャメロンは、ディカプリオと口論になり、
彼にこう言ったそうです。
“君はまだ一日撮影しただけだし、イヤなら止めていいんだよ”と。
でも、我々香港映画はスターを重要視します。たとえストーリーに“問題アリ”だったとしても、
スターの顔で品質を保障させようとするんです。勿論、適したストーリーがあれば、
周星馳と共演するのに越した事はないですけどね。」

周星馳の近年の作品を見ると、彼特有のスタイルであるナンセンス・コメディ色は
だいぶ薄まっているように思うが、これに対して許冠文は次のように解釈している。

「それは、周星馳だけではないですよ。自作自演をしている人間、
例えば私とか、ウディ・アレンだってそうです。
物事にはステップがあるものなんです。
まず、デビュー当時は、何にでもチャレンジしてみようとする。
そして次の段階に入ると、先輩の真似をしてみたくなる。
私の場合はそうですねぇ・・チャップリンとか、梁醒波(リョン・シンボ)とか。
その後は、自分のスタイルを生み出したくなる。
でも、そのスタイルが確立してしまうと、今度は転向してみたくなるんですよ。
周星馳と私の映画が似ている所は、少しずつドラマチックに変わってきた所です。」

スタイルを変えてしまうと、観客はなかなか受け入れられないものである。
また同時に、「あいつの才能も、ついに尽きたか」と言う批判も免れないだろう。
それでも許冠文は、彼なりの考えを貫きたいと言う。

「もし私がジョージ・ルーカスだったら、『スター・ウォーズ』をリメイクしようとは思いません。
やっぱり彼には、新しいストーリーで、新しい映画を撮って欲しいんですよ。
私は過去の栄光にすがる事はしたくないんです。
『雙星報喜』に出ていた頃は週一で収録があり、終わるとタクシーで帰るのですが、
運転手からは毎回、褒められるか、貶されるかのどちらかでしたね。
しかも、二週間続けて評判が悪い時なんて、
“君の才能もここまでか?”なんて言われたものです。

ここで再び彼の映画の話になると、
許冠文は『鬼馬雙星(Mr.Boo!ギャンブル大将)』から語り始めた。

「『鬼馬雙星』で、香港の歴代興行記録を塗り替えた後、
それに続く『天才與白痴』も、成績はまずまずだったのですが、
人々の評価はイマイチだったんです。
周囲からは、“許冠文の才能も尽きたな”と言われたものです。
ところが、『半斤八両』が世に出ると、また大好評を博しましてね。
しかし、その後の『賣身契』の評判が普通だったもので、
またしても、“アイツの才能も・・・”とか言われる始末。
かと思ったら今度は『摩登保鏢』でまた記録を塗り替えたものだから、
人々からは大絶賛されたわけですよ。そして、ここからは、
例の女性スターと共演した映画がしばらく続くわけなのですがね、
人々からは、“アイツの才能は完全に尽きたな”等とご批評頂きまして・・・。
それでも、『雞同鴨講』を発表すると、
彼らはまた“許冠文カムバック!”とか騒ぎ立てるわけですよ。
つまりですね、ツマラナイ作品が一、二本でもあると、
人々からは“オマエの才能は尽きたな”とか言われてしまうものなのです。
よって、我々の価値は、常に前作の興行成績と比べてどうかで決まると言う事です。
ま、なんて言われようとも、私自身、“才能が尽きた”なんて事、
全く以ってありゃしないと思ってますけどね!」

許冠文は、よい映画を作るために今でも努力し続けているのだ。

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↑『天才與白痴(1975)』より


家族vs映画

ホイ一家は皆、映画とは切っても切れない縁で結ばれている。
許冠文と許冠傑は、『雙星報喜』の時からのパートナーで二人の息はピッタリ。
許冠英(リッキー・ホイ)のコメディセンスも、生まれながらの才能のようだし、
許冠武(スタンリー・ホイ)は、主に裏方として活躍している。
また、彼らの父親、許世昌に至っても、嘗て『摩登保鏢』に特別出演している。

「実は、我々ホイ一族は皆、パフォーマンス好きなんですよ。
幼い頃から、仮装して他の子供たちの前で芝居したり、
両親は、バイオリンを弾いたり、歌ったりしていましたから。」

早くに芸能界の一線から退いた弟、
許冠傑(サミュエル・ホイ)については、次のように語ってくれた。

「許冠傑自身、芝居はあまり好きではないようです。
やはり歌うことが好きなんですね。
また彼は、自分と言うものを“大事にしまっておく”事が好きな男でして、
のんびりと過ごす生活が好きみたいですよ。
浜辺を歩いたり、犬と散歩したり、魚釣りをしたり、船に乗ったり、そして歌ったり・・・。
でも、私はそんな彼に言ったんですよ。
“オマエの老後は、本当にそれでいいのか?
歌う事が好きなら、その歌を誰かに聞かせてあげるべきじゃないのか?”と。
そしたら彼、大学の舞踏会に参加しましてね、仮装して歌ったそうですよ。
やはり彼の場合、もう一度芸能界でやって行く気はないみたいです。」

許冠文は嘗て、『大密探』と言う陳欣健(フィリップ・チェン)との合作映画で、
主役に自分の娘を起用しようと考えていた事がある。

「あの時、娘はちょうど『演藝學院』を卒業したばかりで、芝居に興味があったんですよ。
娘と映画で共演できる事ほど面白い事はないですから、
私は、陳欣健に相談を持ちかけたんです。
『半斤八両』の続編のような映画が撮れないだろうかって。
勿論それは、探偵モノで、許冠傑にも出演して貰うつもりでした。
ホイ一家団欒のような作品ができればいいな、と。
ところがその後、海賊版や、マーケット縮小などの問題により・・・。
いや、一番の原因は、そうこうしている内に、
“私、もう芸能界はいいわ”
って娘が言い出したからなんですけどね。」

許冠文は、今現在四つの趣味があるそうな。
スキューバダイビング、釣り、ゴルフ、そして孫と遊ぶ事。
でも一番好きな事は、やはり映画を撮ることだそうな。
もう69歳になる彼だが、相変わらず茶目っ気たっぷりに許冠傑の名曲を歌い、
そんな今の心境を表現してくれた。


行年六十八,腰骨都脆,
我嘅風濕中氣衰,
窒兩句,濕濕碎,
我都嗗聲吞佢
嘆下雙蒸,打牌抽下水,
回頭望過去,始終句,

有酒應該今朝醉


68
歳にもなると 腰骨は脆く 
リウマチにもなれば気力も衰える
少々腹の立つ事を言われても何のその
そんなのゴクンと呑み込んでやるさ
蒸留酒でも味わいながら 博打でおこぼれを貰えればいい 
こうして人生を振り返ると やっぱりあの言葉しかない

“今宵酒あれば 今宵酔い”
(明日は明日の風が吹くだろう)


若かった頃は、この歌を歌いながら、
孤高な未来の自分を想像したものだと許冠文は言うが、

「ん〜そうですねぇ・・・
今の私もこんな感じですかね。」

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 (日訳:管理人 Baakkei 原文はこちら

鬼馬依舊 許冠文 (前編)

824日発刊の香港のフリーペーパー『am730』に、
許冠文先生の特集記事が掲載されました。

と言っても、その『am730』に掲載された文章及び画像は、
2011
8月号の映画専門誌『香港電影(ISSUE 42)』から
拝借したものらしいのですが・・・。


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※『香港電影』の微博より

ま、それはさておき、いつものように
日本語に訳してみたのでブログにアップしたいと思います。
ただ、文字数が長すぎてエラーが出てしまったので、
前編と後編の二回に分けることにしました。
ご了承下さい。


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マイケルの茶目っ気ぶりは、今も健在なり

香港版アカデミーこと、『香港電影金像奨』の“初代主演男優賞”を受賞した“影帝”であり、
また最近では、『イタリア・ウーディネ極東映画祭』において功労賞を獲得した許冠文だが、
正直な所、芝居にはあまり関心がなく、クリエイトする事の方が好きだと言う。
そんな彼は、中文大学出の秀才でありながらも、決して能力にうぬぼれる事なく、
クリティカル・シンキングを小市民の生活に結びつけることで、
香港の人々の心に深く刻まれる数々のコメディ傑作を生み出してきた。

以前は労働者階級の代弁者であり、様々な労働者の心の声を伝えて来た許冠文も、
今となってはすっかり経営者側の心境に傾いている。
たとえ今、労働者を描いた作品を撮ったとしても、
恐らく、
経営者側に些か見方してしまうだろうと彼は言う。

そんな彼が一番愛しているのは今も変わらず“映画を撮る事”であり、
ずっと構想を練っていると言うのだが、もう10数年も新作を発表していない。
道理で、霑(ジェームズ・ウォン)に言われるはずだ。
「マイケルは考え過ぎだ。完璧を求め過ぎるんだ」と。

1991年製作の豪華キャストが贈る映画『豪門夜宴(The Banquet)』の中に、
意味深長な一幕がある。元祖喜劇王の許冠文と、“無厘頭(ナンセンス・コメディ)”
と呼ばれるスタイルで一躍スターとなったコメディ界の新星、周星馳(チャウ・シンチー)が、
鶏の頭を巡ってトークバトルを勃発。最後にはシンチーがマイケルに譲ると言うシーンだ。
実際の所、許冠文にとって周星馳は、別に自身の立場を脅かす存在ではなく、
また、シンチーも彼と同じように、転向への道を模索している所であり、
許冠文は、まだその新しい方向が見つけられないでいるだけだと言う。


役者VS監督

許冠文は、香港中文大学連合書院の社会学部を卒業。大学二年の時には既に

TVBこと、無線電視(香港初の地上波テレビ局)の人気番組『歓楽今宵』の

製作に携わっていたこともあり、1971年、正式にTVBに入社。

その後、実弟の許冠傑(サミュエル・ホイ)と一緒にホストを務めた『雙星報喜』が

瞬く間にTVBの視聴率王となる。1972年には、大物監督、

李翰祥(リー・ハンシャン)に誘われ、映画『大軍閥』で初主演を演じる。

ここから彼の映画人生が始まるのである。


その時の事について、許冠文はこう語る。

「私は、小さい頃から李監督の映画を見て育ったんです。ですから、

彼に誘われた時は大変光栄に思いました。・・・ただ、妙だなとも思いましたよ。

私が演じる“軍閥”と言うのは、少なくとも4050歳は過ぎている設定でしたからね。

当然、その時の私はヒジョーに若かったので、演じ難いのではないかと思ったんです。

その次に悩んだのは、スキンヘッドにする事です。

当時、私はまだTVタレントだったので、見た目に支障が出る事を心配したんです。

でも、その一方で、これは貴重なチャンスだとも思いました。

なんたって大作ですからね!」


そう言いながらも結局は、『大軍閥』で主演を演じる事となり、
ショウ・ブラザーズ映画史上最高の興行収入を叩き出す事になる。

役づくりについて聞いてみると、許冠文はキッパリとこう語る。
「芝居に関しては、昔から自信はあったんです。
ただ、あまり好きではないだけで・・・。」

 
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↑『大軍閥(1972)』より

『大軍閥』で一躍スターに躍り出た許冠文は、その時既に30歳。
芸能界では大器晩成型と言えるだろう。
そんな彼の当時の心境は、もう暫く芸能界に残り、その後はビジネスでもするか、
或いは政治家にでもなろうと考えていたそうな。
しかしながら、『大軍閥』の撮影中、監督の李翰祥(リー・ハンシャン)は、
毎晩自宅に許冠文を招いては食事をしながら語り合い、編集の仕方から
シナリオの書き方まで教えてくれたことで、彼の考えに変化が現れ始める。
その時の思い出を、許冠文はこう語る。

「李監督は、私に色々な事を話してくれましたね。このシーンでは何が言いたいのだとか、
大軍閥が中国の発展を妨げたんだ。だから、この演技にはこういう理念がある・・・
と言う風に、全てのシーンについて彼の考えを話してくれたんですよ。
そしてその翌日、昨晩書き上げたシナリオが、カメラを通して
一つ一つ映し出されていく光景を私は目の当たりにしたわけです。
こうした経験によって、“映画は単に人々を楽しませるだけのものではない”
考えるようになったんです。また、自分の世界観を、この有力なメディアを通して発信すれば
全世界の人々に影響を与える事ができるのではないか、と。
その時からですね。“監督こそが、私の一生の仕事になるかもしれない”
と思い始めるようになったのは。」

許冠文の理想は、この時から脚本と監督に定められたのである。

「私は、クリエイトする事が大好きなんですよ。
自分の創作力を使って、それを興味深いストーリーの中で表現する。
世界の悲惨な一面をユーモラスに描くことで解決へと導きたい。
だって人生は苦くて短いものですからね。・・・ただ、問題は、
私の描きたいモノと言うのは、他の誰かが演じても
その効果が発揮されないわけです。私がやるしかないんです。」

許冠文が自分の映画に出演するのは、
まさかの“やむを得ず”と言う理由からだったようだ・・・。


邵氏(SBVS嘉禾(GH

『大軍閥』を撮り終えた頃、邵氏こと“ショウ・ブラザーズ”は、
許冠文に
3本の映画出演契約を結ばせた。
邵逸夫(ランラン・ショウ)は、彼を優遇したのだ。
なぜなら、ショウ・ブラザーズに属する役者は、
強制的に8年もの契約を結ばされるのが原則だからである。

とは言え、恐らくそれは、『大軍閥』で人気が出たものの、
その後の作品、『一楽也(The Happiest Moment)』及び『醜聞(Scandal)』が
前作には及ばなかったからとも考えられるのだが・・・。
その頃の許冠文は、これからの将来に不安を感じていたと言う。

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↑『聲色犬馬(1974)』より

「興行収入はまずまずでしたが、このままではイカンなと思ったんです。
それでも、『雙星報喜』で培った経験のおかげで、その時既に、
コメディの撮り方や演技の仕方に関しては、私なりの見解を持っていたので、
チャンスがあれば、自作自演の映画が撮れるかもしれないと思っていました。
今考えると、勿論それは、恐れを知らない若造だからこそできた
大胆な考えなわけですが・・・。」

その当時、嘉禾(ゴールデン・ハーベスト)は、許冠傑と契約を結び、
看板スターとして売り出すつもりだった。ところが、まだ一作品も撮っていない内に
李小龍(ブルース・リー)の出現によって、許冠傑は冷遇されてしまう。
しかし、許冠文はそこに目を付けた。
今がゴールデン・ハーベストに入る絶好のタイミングだ!
許冠傑とタッグを組み、『雙星報喜』の映画版を撮ろうと考えたのである。

「鄒文懷(レイモンド・チョウ)氏は、ショウ氏に比べて、
タレントの要望に応えてくれたし、態度の面でもよかったんですよ。
私が監督をやってみたいと言うと、レイモンド氏は快く協力してくれました。
“経験がなくても大丈夫、彼の製作スタッフが熟知しているから”
とも言って下さいましたし、あの時は“絵コンテ”すら知らなかった私のために、
宇森(ジョン・ウー)を助手につけてくれましたからね。」

この時、ジョン・ウーは、ゴールデン・ハーベストのための映画を撮り終えたばかりで、
ちょうど手が空いていたそうだ。つまり、許冠文の初監督作品『鬼馬雙星
Mr.Boo!ギャンブル大将)』は、ジョン・ウー指導の下、製作されたのである。

「ジョン・ウーは、本当に男気溢れる男でしてね。
それ以来、彼とはイイ仲なんですよ」

当時、その映画に参与したメンバーの中には、洪金寶(サモハン・キンポー)、
霑(ジェームズ・ウォン)等もいた。今となっては、錚々たるメンバーだったと言える。
こうして『鬼馬雙星』は自ずと大盛況を収め、興行収入625万香港ドルを稼ぎ出し、
1974年の香港映画興行成績第一位を獲得したのである。


労働者VS経営者

1974年から1981年に掛けて、許冠文はゴールデン・ハーベストのために
6本ものヒット作を生み出した。しかもその内の4作は、
それぞれ年間の映画興行収入第一位を獲得している。
その成功の要因は、“形式”にあると考える許冠文。
それまでのコメディと言えば、梁醒波(リョン・シンボ)、伊秋水に代表される
伝統的なストーリーを用いて、ゆっくりと展開していくと言うものだった。
一方、彼のコメディは、マシンガントークによる集中“口撃”型とでも言おうか、
スピードが速く、笑いの取り方が斬新で、何よりそれが観客に受け入れられたことだ。

「観客は、その時その時で、ある喜劇の“パターン”を好むものです。
なぜなら、ストーリーの内容は、いつの時代もそう大して変わらないわけですから。
ただ、その笑いのパターンが時代遅れになった時、人々は、面白くないと感じるわけですよ。
広東語で言うなら、“又係嗰啲嘢?(またこれかいっ!)”と言う風にね。
例えば、ブルース・リー特有のアクションスタイルは、観客に大変受け入れられた。
しかしながら、もし彼がまだ生きていたとして、今でもあのスタイルでアクションしていたら、
観客は皆、“またこれかいっ!”と思うわけです。」

“形式”の他には、内容も成功した要因の一つだと言えるだろう。
『鬼馬雙星』は、一般市民の心の声を上手く反映できていた。

「私だって普通の市民でしたからね。お金もなかったですし、
普段から、ギャンブルも好きでやっていましたし、
ほんのちょっと勝っただけでも嬉しかったものです。」

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↑『半斤八両(1976)』より

その後の作品、『半斤八両(Mr.BOO!)』でも市民の心境を表現しているが、
ここでは特に労働者の声を代弁した作品になっている。
そして、『賣身契(Mr.BOO!インベーダー作戦)』と続くのだが、
この作品の成績は彼の期待を下回る結果に終わった。
ストーリーのインスピレーションは、ショウ・ブラザーズの契約制度から生まれたモノだと言う。
役者は、通常8年もの契約を結ばされる。悲惨なものだ。
あるアクションスターなんて、嘗て契約書を盗もうとして、
結果裁判沙汰になったほど・・・。

「映画のストーリーは、主役がどのように契約書を盗み出すかと言うもので、
様々な視覚的ギャグ(ビジュアル・ギャグ)を盛り込んでみたのですが、
まさにそれがヒットしなかった原因なんですよ。
当時私は、ご当地ギャグを越える新たな笑いのスタイルを試してみたかったんです。
ま、もうご存知の通り、それは“アクション”で笑いを表現する
と言うものだったわけですが。」

その次の、『摩登保鏢(新Mr.Boo!アヒルの警備保障)』も、
同じく庶民の心を映し出すパターンの作品だ。

「内容の上で私が大切にしているのは、
いつも一般市民の気持ちになって考えることです。
それは、必ずしも労働者とは限らないわけですが、今となっては、
こういう方向性のストーリーは大変難しいものがあります。
まず、今の私に果たして一般市民の心境が分かるのかどうか?!
立場的に見ても、今の私の心境は経営者よりですからね。
だからもし、今、『新半斤八両』を撮ったとしたら、
恐らく、割合的にボスの方に同情してしまう部分の方が多いと思うんですよ。
それか或いは、両方の立場を公平に考えるか・・・。」

心理学を学んだ事のある許冠文は、双方の立場について
大変明確に認識しているのが窺える。


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